向こう側にある景色 - 4月の読書記録
平成最後の読書記録です。今月も力強い作品が数多くありました。
- ①『木曜日の子ども』重松清 角川書店
- ②『夫のちんぽが入らない』こだま 講談社文庫
- ③『昭和史1926-1945』半藤一利 平凡社
- ④『昨夜のカレー、明日のパン』木皿泉 河出文庫
- ⑤『ノースライト』横山秀夫 新潮社
- ⑥『卵の緒』瀬尾まいこ 新潮文庫
- ⑦『泣き童子 三島屋変調百物語参之続』宮部みゆき 角川文庫
- ⑧『生きてるだけで、愛。』本谷有希子 新潮文庫
①『木曜日の子ども』重松清 角川書店
☆☆☆☆☆
重松清さんの最新作にして問題作。
父親になろうともがく主人公とその妻子が引っ越してきた場所は、かつて一人の中学生が凄惨な「木曜日の子ども」事件を引き起こした「聖地」だった。あの事件から七年。相次いで起こる新たな事件を目の前にして、父は子を信じ、助けることができるのか。
むさぼるように、読みました。今まで様々な父親の葛藤を描いてきた重松さんの、一つの到達点。「子ども」という得体のしれない存在に戦慄する主人公の心のとともに、読んでいる僕らの心が、刺され、斬られ、抉られていきます。
わたし、思うんですよ。世界を滅亡させるとか破滅させるとかって、よく言うじゃないですか。でも、ほんとうは誰も本気で世界のことなんて相手にしてるわけじゃないんです。本気で滅ぼしたいのは、もっと小さな、身近な、そこいらにいる誰かのことで……それを滅ぼすために、世界も『ついで』や『おまけ』で滅ぼされちゃうんじゃないか、って。(p. 263)
妙に説得力のある台詞に、読む側が「説得されたくない」ともがきたくなる。それでも、わからないことが恐ろしくて、怖いもの見たさで、どうしてもその「わけ」を知りたくて、ページを繰ってしまう。
終盤、主人公がマンションの屋上にのぼろうとするシーンで、空が迫ってくるように感じられる描写は圧巻でした。小説にしかできない、存在に対する揺さぶり。
読み終えた後、しばらく呆然として、それから少し考え直しました。この物語の結末が見せてくれる風景は、安易に解釈すべきものではないのだと。
②『夫のちんぽが入らない』こだま 講談社文庫
☆☆☆☆
タイトルが隠されてきた作品。
あらすじは言うまでもないでしょう。タイトルの通り。「だからなんだ」という人にこそ、この小説を読んでほしい。そういうことを言えなくさせるだけの言葉がここにあるのです。
途中、涙がこみ上げました。
子どもがいない、ちんぽが入らない。そんな「字面」の向こう側にある景色を、ユーモア交じりにさらけ出して見せる。そのユーモアには、切なさと同程度の可笑しさがブレンドされていて。おこがましいかもしれないけれど、この本を読むという経験が、どれだけ僕の世界を広げてくれたことか。
この文庫本は、あとがきや解説から読まない方がいいでしょう。そこまで含めて、一つの作品に仕上がっているから。
③『昭和史1926-1945』半藤一利 平凡社
☆☆☆☆
3月に広島を訪れた際、ふと「読まなくては」と感じて。
日本人は、明治の近代化の過程で築き上げていった国を、昭和の前半でいかにして滅ぼしていったか。その明快にして、人間味あふれる講義。
日本の中枢で権力を握っていた人々のやり取りの唖然とし、落胆し、憤慨し、まれではあるものの感心もしました。そしてあらためて、歴史は過ちこそまず学ばれるべき、と痛感しました。
自賛してばかりの歴史本が人気を博すこともありますが、それが第一になってはならないのでは、と。歴史を見るうえでの一つの視点として尊重はされるべきですが、過ちを繰り返してきた歴史をまず学んだうえで、それでも日本人はいいこともやってきた、と謙虚に捉えなおす。これくらいのバランスでよいのではないでしょうか。
少し長めの引用になりますが、こんな言葉が胸に残りました。
これは何もあの時代にかぎらないのかもしれません。今だってそうなんじゃないか。なるほど、新聞やテレビや雑誌など、豊富すぎる情報で、われわれは日本の現在をきちんと把握している、国家が今や猛烈な力とスピードによって変わろうとしていることをリアルタイムで実感している、とそう思っている。でも、それはそうと思い込んでいるだけで、実は何もわかっていない、何も見えていないのではないですか。時代の裏側には、何かもっと恐ろしげな大きなものが動いている、が、今は「見れども見えず」で、あと数十年もしたら、それがはっきりする。歴史とはそういう不気味さを秘めていると、私には考えられてならないんです。ですから、歴史を学んで歴史を見る眼を磨け、というわけなんですな。いや、これは駄弁に過ぎたようであります。(p. 268)
④『昨夜のカレー、明日のパン』木皿泉 河出文庫
☆☆☆☆☆
古本屋で見つけて。木皿泉作品は初めて。
沁みる。いつか見たシーンが想像以上に悲しくてあったかい意味を持っていく。
大きな事件が起きるわけじゃない。何気ない日常のなかに、変わっていく関係と、変わることのない関係と、変わることをやめてしまった関係が共存している。流動的な関係のなかに、人生の機微のようなものを見出して、そこにあてた光が温かい。
ほっとさせてくれる、物語というものがあります。
思いがけない形で、登場人物の心が、今までとは少し違う、だけどしっくりくるところに落ち着いて、それに安心させられる。そう考えていたら、解説で重松清さんが同じようなことを書いていました。そういえば重松さんの家族を描いた作品の多くも、人を安心させるところがありますよね。
そういう物語は好きです。
⑤『ノースライト』横山秀夫 新潮社
☆☆☆☆☆
横山秀夫さん、6年ぶり最新作。
信濃追分に建てる新築の設計を頼まれた。しかし依頼主は、古い椅子を一つ新築の部屋に残して失踪。彼はなぜ姿を消したのか──。
その謎は、偉大な建築家の人生を巡る謎に、あるいは一建築士である主人公自身の人生を巡る謎につながっていく。
この本を読むまで、家とそこに住む人々の断ちがたいつながりについてなど、考えたこともありませんでした。
誰かの人生に、読み手である自分が取り込まれていくような感慨。芸術をこの世に遺すということの意味を改めて考えさせられました。
美しいものを、愛する者に、遺したい。届けたい。届かぬ思いさえ、届くと信じて。
あるのは光の記憶だけだ。優しい光のその中へ戻りたいと渇望することがある。
渡り歩いた飯場は、どこも不思議と北側の壁に大きな窓があった。その窓からもたらされる光の中で、本を読んだり絵を描いたりするのが好きだった。差し込むでもなく、降り注ぐでもなく、どこか遠慮がちに部屋を包み込む柔らかな北からの光。東の窓の聡明さとも南の窓の陽気さとも趣の異なる、悟りを開いたかのように物静かなノースライト──。(p. 28)
引き込まれた描写です。
誰かが誰かを思う気持ちが絡まりあって、謎をはらみ、美しい物語になった。柔らかな光が「差し込むでもなく、降り注ぐでもなく、どこか遠慮がちに」、その物語を包み込む。心地よい、優しい光だ。
最高傑作を読んでしまいました。
⑥『卵の緒』瀬尾まいこ 新潮文庫
☆☆☆☆
『そして、バトンは渡された』(文藝春秋)で本屋大賞を受賞した瀬尾まいこさんのデビュー作。友人の勧めで。
血を超えたつながりの温かみを描いた前半の中編「卵の緒」にこたえるように、血のつながりが持つ温かみを後半の中編「7's blood」が描いているように思いました。
小説というものは、ありふれた言葉でくくることのできない関係を、できるだけそのままに描き出そうとするもの。だとすれば、ここに描かれている関係性の、なんと温かく、かけがえのないことか。
叫びたくなりました。母さんさいこう。育生さいこう。朝ちゃんさいこう。七子も七生もさいこう。
登場人物たちの言動にたいして、どうしてこんなことができるのだろう、という違和感と同時に、本来こうあるべきなのではないか、という納得感が湧いてきて、そういう違和感と納得感がないまぜになったような心地に、登場人物たちが読む人をひきつけてやまない原因があるのかもしれません。
⑦『泣き童子 三島屋変調百物語参之続』宮部みゆき 角川文庫
☆☆☆☆☆
三島屋シリーズ第三作。
怪奇な話と見せかけて、どこにでもある話をしてみせたような「魂取の池」、災厄と愛する人の死が、不思議な夢と結びついていく「くりから御殿」、人の闇を突きつける「泣き童子」、人の情にあふれた怪異談「小雪舞う日の怪談語り」、世にも恐ろしい怪物を描く「まぐる笛」、そして今までにない読後感の「節気顔」。
巻を重ねるたびに満足度も増しています。
不思議だけれどほっとする怪異もあれば、心の臓が縮み上がるような怪異もあり、背筋に冷や水を落とされたような怪異もあれば、切なく涙を誘う怪異もあり。
なかでも表題作「泣き童子」にはぞっとさせられました。聞き手であるおちか同様、読み手である僕らにも、物語のいきつく先が次第に見えてくる。最もそうなってほしくない形で物語が進んでいくことを理解していながら、そうならないことを確認したくて、そうならないことを願いながらページを捲る。怖いもの見たさとは少し違う感覚ですね。
次作は6月に文庫化とのこと。
⑧『生きてるだけで、愛。』本谷有希子 新潮文庫
☆☆☆☆
映画を観て原作が気になって。
劇作家が書くだけあって、台詞一つ一つに込められた熱量がすごい。
ねえ、あたしってなんでこんな生きてるだけで疲れるのかなあ? 雨降っただけで死にたくなるって、生き物としてさ、たぶんすごく間違ってるよね? (p. 106)
あるいは。
いいなあ津奈木。あたしと別れられて、いいなあ。(p. 107)
生きてるだけでいいんだよ、なんていう安易な全肯定ではない。何もかもうまくいかない、自分とのかかわり、他人とのかかわり。どんなに自分を叱っても、嫌っても恨んでも蹴飛ばしたくなっても、自分は生まれた時から自分のままで。生きてるだけで、こんなに疲れる。だけどそんな人生で一瞬だけ、「脳細胞がしびれるくらい強烈で鮮烈な」つながりを、誰かとの間に感じることができたら。
心の目に焼きつく名シーンにあふれた小説でした。
ドラマチックという言葉 - 3月の読書記録
新年度に入る前に、3月の記録を。
今回も不思議な顔ぶれ。長めな作品も二つほど。
- ①『地球に散りばめられて』多和田葉子 講談社
- ②『涼宮ハルヒの憂鬱』谷川流 角川文庫
- ③『献灯使』多和田葉子 講談社文庫
- ④『MISSING』本多孝好 角川文庫
- ⑤『ぼくが愛したゴウスト』打海文三 中公文庫
- ⑥『文学部唯野教授』筒井康隆 岩波書店
- ⑦『記憶屋』織守きょうや 角川ホラー文庫
- ⑧『ホテル・ニューハンプシャー』ジョン・アーヴィング 中野圭二訳 新潮文庫
- ⑨『悪人』吉田修一 朝日文庫
①『地球に散りばめられて』多和田葉子 講談社
☆☆☆☆☆
友達の薦めで。
装幀はきれいな和菓子。
中国大陸とポリネシアの間に浮かぶ列島に生まれたHirukoは、遠い異国の地で母国を失い、同じ母国語を話す誰かを求めて旅をする。彼女と彼女を取り巻く人々の、言葉を巡る旅の物語。
日本語らしき言葉や、ドイツ語、英語、スカンディナビアの言葉を一つにした人工語。日本語という媒体の上で、様々な言葉が飛び交い、人と人がつながっていく過程が美しくて。言葉によって言葉そのものを描こうとする、そのこと自体が美しくて。
惹きつけられる表現に数多く出会いました。
彼女の顔は空中にある複数の文法を吸い込んで、それを体内で溶かして、甘い息にして口から吐き出す。聞いている側は、不思議な文章が文法的に正しいのか正しくないのか判断する機能が停止して、水の中を泳いでいるみたいになる。これからの時代は、液体文法と気体文法が固体文法にとってかわるのかもしれない。 (p. 12)
あるいは。
言葉が記憶の細かい襞に沿って流れ、小さな光るものを一つも見落とさずに拾いながら、とんでもない遠くまで連れて行ってくれる。 (p. 271)
じっくり読んで、いつまでもその言葉の海にたゆたっていたいと感じられる作品でした。
②『涼宮ハルヒの憂鬱』谷川流 角川文庫
☆☆☆☆
名作が角川文庫に襲来。
ライトノベルと名のつくものを読んだのはこれが初めてかもしれません。これまで敬遠していた類のジャンルで、その大ボスに挑戦。
なんだこれ、面白いぞ。
自分がきっと特別で、面白くて非日常な出来事が自分を待っているのだと信じて疑わない、一人の少女の物語。
ストーリーのスピード感、キャラクターの濃さ、滅茶苦茶に見えてしっかりSFとしての根っこに支えられた構成。
語り手の「俺」の、涼宮ハルヒに対する皮肉と諦めとちょっとの共感とたっぷりのユーモアがちょうどいい。
③『献灯使』多和田葉子 講談社文庫
☆☆☆☆☆
こちらも多和田葉子さん。以下感想は表題作について。
鎖国し、食糧不足に陥り、数多くの言葉が失われ、健康な子供は生まれなくなり、年寄りばかりが力強く生きている時代。そこに、曾祖父と曾孫はいた。
どうしてこんなに悲惨な世界を、ユーモアたっぷりに描けるのだろうと思いながら読み進めるうちに、なんだか悲惨でもないような気がしてきたりして。
曾孫の無名のひ弱さを嘆きながら、必死に守り育てようとする曾おじいさんがかっこよくて。
無名、待っていろ。お前が自分の歯では切り刻めない食物繊維のジャングルを、曾おじいちゃんが代わりに切り刻んで命への道をひらいてやるから。 (p. 41)
読み終えて、震えました。
④『MISSING』本多孝好 角川文庫
☆☆☆☆
昔読んだきり読み返していなかった短編集。
どれも余韻のあるミステリ、しかもとても短い。
「眠りの森」と「瑠璃」が特に好きでした。
ひとつひとつテンポもムードも違って、飽きさせません。
⑤『ぼくが愛したゴウスト』打海文三 中公文庫
☆☆☆☆☆
伊坂幸太郎さんのお気に入りの一冊。解説も伊坂さんです。
11歳の夏。自分はこの世界の人々と違うのだと、気づいてしまった少年の冒険を描く。
物語の正体がなかなかつかめない、得体のしれない面白さがあり、ぐいぐい読みました。『1984年』(ジョージ・オーウェル)の「正気かどうかは統計上の問題ではない」という言葉が思い出されます。自分を取り巻く世界がおかしいと気づいたとき、その世界に対して、自分がおかしくないと証明することができるのか。
なんだろうこの余韻は。
11歳の少年の、世界と自己存在を巡る成長物語。
主人公・翔太の意識がどこにたどり着くのか、結末は予想を超えていました。
⑥『文学部唯野教授』筒井康隆 岩波書店
☆☆☆☆
この本の関係者が自分の関係者でもあると知って。
饒舌極まりない大学教授、唯野仁の授業は、いつも満席の名物講義。隠れて小説を発表している彼の周りには、七癖も八癖もある教授や助手、記者連中が渦巻いていて、大学とマスコミと文学の板挟みですりゴマのようになりながら、唯野は今日も破天荒な文芸批評講義を繰り広げる。
ゲラゲラ笑いながら読める人と、顔をしかめる人とで評価が分かれそうですが、文芸批評に少しでも興味があればきっと楽しめます。
⑦『記憶屋』織守きょうや 角川ホラー文庫
☆☆☆
知り合いの薦めで。
人の記憶を消すことができるという怪人・記憶屋を巡る物語。
謎解きと謎の答えをほのめかすエピソードが順序良く配置された、きれいな構成のお話でした。
どうしてこれが「ホラー」なのか最初は疑問だったのですが、しばらくして納得。
自分を知っていたはずの誰かが、自分を忘れてしまうこと。
これって、ひょっとしたらその辺のホラー映画よりもずっと恐ろしい、しかも容易に起こりうる恐怖なんですよね。
再び記憶について考えさせられました。
⑧『ホテル・ニューハンプシャー』ジョン・アーヴィング 中野圭二訳 新潮文庫
☆☆☆☆☆
『サラバ!』(西加奈子 小学館文庫)に登場して気になっていた作品。
父、母、祖父、兄、姉、弟、妹、飼い犬、そして僕。それぞれに傷を抱えたある家族が、一家でホテルを営んでいく波乱万丈の「おとぎ話」。
上下巻合わせて800ページ超ありますが、少しも長いとは感じられませんでした。それほど、エピソードがふんだんに盛り込まれています。
はじめの一章だけでも、じゅうぶん一つの作品として成立するほどの充実感。
ずっと前に現れた台詞が、何度も形を変えて現れるリフレイン。
傷つきながら生きていくこの家族に、幾度感情を揺さぶられたことか。
今まで僕は、ドラマチックという言葉を安易に用いすぎたのかもしれない。ドラマチックとは、波瀾万丈で感動的で印象的で、劇的であること。そしてこの物語にこそ、ドラマチックという言葉が最もふさわしいと思われるのです。
印象的だった父親の台詞を一つ。
「われわれが何を失ってもそこから立ち直って強くなれないんだったら、そしてまた、なくて淋しく思っているものや、欲しいけれど手に入れるのは不可能なものがあっても、めげずに強くなれないんだったら」父さんは言う、「だったら、われわれはお世辞にも強くなったとは言えないんじゃあるまいかね。それ以外にわれわれ人間を強くするものがあるかね?」 (下 p. 198)
人生の節目にまた読み返したい作品です。
⑨『悪人』吉田修一 朝日文庫
☆☆☆☆☆
言わずと知れた名作。
三瀬峠で一人の女が殺された。男はなぜ、彼女を殺害したのか。
殺された彼女と殺した彼。そして彼を愛したもう一人の女。3人にかかわる人間たちの愛の物語。
読んでいて、映画を観ているようでした(小説をこんな風にたとえていいのでしょうか)。鮮やかな場面転換。次々と切り替わる語りの中心人物。
読み手は急に、誰かの人生に放り込まれる。読み進めるうちに、この人も事件にかかわる人間なのだと気づく。その繰り返し。誰一人、薄っぺらい操り人形のいない、重厚な群像劇。
終盤、被害者の父が漏らす一言が胸に刺さりました。(ここでは伏せます)
容疑者として、あるいは有罪判決を受けた罪人としてニュースで報じられる人間を、「悪人」と切って捨ててしまう僕ら。対してこの小説は、一人の罪人の人生を、彼にかかわる人々の人生と同じように並べてみせ、偏りのない眼差しで描き、伝えています。
「悪人」とは。「加害者」とは。「被害者」とは──。
誰かの記憶の中で生きる~2月の読書記録
すっかり春の陽気ですが、時間ができたので2月に読んだ本をまとめておきたいと思います。今月は新作よりも旧作に偏りました。
(☆は最大5つで、読み終えたその時の満足感の程度を表しています)
- ①『おそろし 三島屋変調百物語事始』宮部みゆき 角川文庫
- ②『あんじゅう 三島屋変調百物語事続』宮部みゆき 角川文庫
- ③『レプリカたちの夜』一條次郎 新潮文庫
- ④『あなたのいない記憶』辻堂ゆめ 宝島社文庫
- ⑤『桶川ストーカー殺人事件──遺言』清水潔 新潮文庫
- ⑥『3652 伊坂幸太郎エッセイ集』伊坂幸太郎 新潮社
- ⑦『わたしたちが孤児だったころ』カズオ・イシグロ 入江真佐子訳 早川書房
- ⑧『家族百景』筒井康隆 新潮文庫
- ⑨『校閲ガール』宮木あや子 角川文庫
①『おそろし 三島屋変調百物語事始』宮部みゆき 角川文庫
☆☆☆☆
宮部さんの江戸ものシリーズにとりかかりました。
宮部さんはすぐれたストーリーテラーであると同時に、人の黒い部分を描くのが上手な方だと認識しています。
本作の主題のひとつもそこにおかれています。
心に大きな傷を抱えた主人公の少女おちかが、人の心にまつわる様々な怪奇な物語を聞き取ることを通じて、そこに何らかの答えや考えを導き出していく連作短編集。
解説には、宮部さんのこんな一言が。
「考えてみれば誰の心にもこういう黒々とした邪悪なものは潜んでいて、本書はおちか自身のなかにもあるその真っ黒なものの正体を百話かけて見極める物語ともいえる」
百話の連作短編──。ライフワークの一つになるのでしょう。
第一巻ということで、百話の序盤に過ぎませんが、連作が一つのラストにつながっていく心地よさと、単なるハッピーエンドではない、考えさせる余地を残して次につなげていく手際の良さが見事でした。
②『あんじゅう 三島屋変調百物語事続』宮部みゆき 角川文庫
☆☆☆☆☆
さっそく第二作です。
一話ごとにストーリーががらりと変わる変幻自在さもさることながら、登場する怪奇な存在がどれも魅力的です。
正体はここでは伏せておきますが、なかでも表題作の「暗獣(あんじゅう)」は格別。
なんて素敵で切ない物の怪を生み出したことか、この宮部みゆきという作家は。
気づけばこの物の怪を、好きになっている。
その存在の切なさに、涙さえ流してしまう。
百物語を通じて、人の心の黒い部分にも白い部分にも向き合っていくことになる少女・おちか。あなたにもこんな部分があるでしょうと語りかける、その矛先は百物語の登場人物だけでなく聞き手であるおちかに、そして読み手である私たち読者に向けられていくことになります。
次作も期待。
③『レプリカたちの夜』一條次郎 新潮文庫
☆☆☆☆
第二回新潮ミステリー大賞受賞作。
伊坂幸太郎さんの「とにかくこの小説を世に出すべきだと思いました」という帯が印象的な本作。
読み終えた印象を率直に。
途方もなく頭をかき回された気分です。溶けてしまったアイスクリームかなにかみたいに。
不思議なことが次々起こって、なんだこれは、と思う暇もなく物語は進行していく。
なにがあってもおかしくはない世の中ですから。(p. 123)
なんて一言が作中にありますが、まさにそんなミステリー(?)。読んでいるうちに、物語だとか自己だとか世界だとかいう枠組みが崩壊していくような、そして同時にまた別の何かが生成されていくような、そんな体験が快感といえないこともなく──。
読んだら忘れないと思います。いろんな意味で。
④『あなたのいない記憶』辻堂ゆめ 宝島社文庫
☆☆☆☆
今追いかけているミステリー作家。
ミステリーにおいて、動機に深みを持たせることがどれほど重要か(作家にせよ読者にせよ、ミステリーにかかわる人にとっては当たり前のことかもしれませんが)。どれほど秀逸なトリックを思いついても、それを実行に移す動機に切実さがなくては、見かけ倒しの駄作になってしまいます。
辻堂さんの今作はその点、読者の予想をいい意味で裏切りながら、読ませる動機をしっかり作り上げている、素敵な作品でした。
記憶、というテーマからは、同じ月に読んだ『わたしたちが孤児だったころ』(カズオ・イシグロ)や、映画化で話題の『パラレルワールド・ラブストーリー』(東野圭吾)、映画では『エターナル・サンシャイン』などが思い浮かびます。読み進める中で何度も、誰かの記憶の中で生きるということがどのようなことか、という疑問が心に浮かんでは消え、浮かんでは消えました。これからもことあるごとに思い出すことになる疑問になりそうです。
心に残った台詞を一つ。
世界で一番大切な人というがはね、ガラス細工ながよ。(p. 404)
この言葉の意味はこれだけ読んで想像するよりも少し、深いです。
⑤『桶川ストーカー殺人事件──遺言』清水潔 新潮文庫
☆☆☆☆☆
同じ著者の『殺人犯はそこにいる』(新潮文庫)を思い出しながら読みました。
伝えたい、伝えねば、と、突き動かされるように書いた文章の強さに心打たれます。伝える仕事にかかわる人だけでなく、その受け手である全ての人に読んでほしい本。
本書の最後にある、文庫化に寄せて、を本書にかかわるとある人が書いています。そこに、こうあります。
本書には、人に与えられただけの垂れ流しの情報によってではなく、自らの研ぎ澄まされた直感と信念によって、真実を探り出そうと猛烈に突き進んだひとりの報道人の行動の結果が記されている。(p. 417)
これ以上の説明はいらないのかも、しれません。
⑥『3652 伊坂幸太郎エッセイ集』伊坂幸太郎 新潮社
☆☆☆☆
小学生以来ファンである伊坂さんのエッセイ集を今頃になって読了。
一読して、ああ、律儀な人なんだなあ、と思います。それでもって、どこを読んでも、やっぱり伊坂さんなんだなあ、と。
心に残った部分がいくつか。
伊坂さんが『砂漠』(新潮文庫)で描いたような、大学時代について一言。
社会に出てもいないくせに訳知り顔で、根拠もないのに、「自分には何かができるんじゃないか」と思っているような、そういう大学時代(p. 133)
『ぼくが愛したゴウスト』(打海文三、中公文庫)の解説からこんな言葉も。
そもそも、抽象的なものであるはずの、「感動」というものを論理的に分析することが僕は苦手なのだ。だから今、書いているこの文章は、解説というよりはお祈りに近いのだと思う。「この本を、僕と同じように気に入る人がいますように」というお祈りだ。(p. 199)
やはりいつかお会いしたい作家さんです。
⑦『わたしたちが孤児だったころ』カズオ・イシグロ 入江真佐子訳 早川書房
☆☆☆☆☆
- 作者: カズオイシグロ,Kazuo Ishiguro,入江真佐子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2006/03/01
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カズオ・イシグロさんの作品を読むのは4作品目になります。
今まで読んだ作品もそうですが、施設で育つ子供たちであったり、由緒正しい執事であったり、ドラゴンの時代の老夫婦であったり、世界を股にかける探偵であったり、そんな人間も状況もまるで違う、小説世界であるのに、どこか自分の人生、あるいは人間一般の人生に通じているような出来事や言葉の存在に気づいて、はっとせざるを得ない。それが彼の作品のすごさなのだと感じます。
終盤、「わたしたち」と語り手は言います。その続きはここでは伏せますが、こんなふうに考えました。
もしかしたら、私たちもまた。
小さなころに失ったと思い込んでいる世界を、どこまでも追いかけて。小さなころにあったと信じる世界を、回想の中でどこまでも理想化して。そんなあるはずもない理想に向かって、終りの見えない人生を生きていやしないだろうか、と。
⑧『家族百景』筒井康隆 新潮文庫
☆☆☆☆
七瀬シリーズ第一作。
人の心が読めてしまう家政婦の七瀬。彼女の勤務先である一つ一つの家族が抱える嫉妬、欲望、すれ違い、憎悪などなど、様々な闇の部分に、彼女が出会い、驚き、あきれ、憐み、感嘆し、時に介入していく短編集です。
七瀬が読み取る他者の心理は、(かっこ書き)で描かれるだけです。しかしその描かれ方が読者の想像する心理世界とぴたりと一致している。心理学的にどうこう、というのではなく、こんなふうに人は思考しているのだろう、と納得してしまう描かれ方。
こう書けばテレパス小説は面白いのだ、とうなずかせてくれます。
⑨『校閲ガール』宮木あや子 角川文庫
☆☆☆☆
ドラマ化で話題になりました。
憎めない魅力的なキャラクターたち、ハチャメチャな人間と出来事にあふれた出版の世界。きっとほんとうに、こんな世界が、普段手に取る本の向こう側には広がっているのでしょう。
小説内小説の巧みさも、校閲という仕事に対する意味付けも、気に入りました。
新年早々、真打登場~1月の読書記録
3月に始めたブログですが、月ごとに読んだ本の紹介(というより感想の垂れ流し)をしていきたいと思います。
まずは1月の読書から(2か月遅れですね)。
- ①『また、同じ夢を見ていた』住野よる 双葉文庫
- ②『木漏れ日に泳ぐ魚』恩田陸 文春文庫
- ③『大家さんと僕』矢部太郎 新潮社
- ④『サラバ!』西加奈子 小学館文庫
- ⑤『赤頭巾ちゃん気をつけて』庄司薫 新潮文庫
- ⑥『フーガはユーガ』伊坂幸太郎 実業之日本社
- ⑦『宝島』真藤順丈 講談社
①『また、同じ夢を見ていた』住野よる 双葉文庫
☆☆☆
住野よるさんは書き出しが印象的な作家だと認識しています。
映画化もされたデビュー作『君の膵臓をたべたい』(双葉社)では、主人公の「僕」を他者と自分との関係にどんな名前を付けるか、ということをかなり意識している人物として描いています(既読の方はお分かりかと思います)。この書き出しが、
クラスメイトであった山内桜良の葬儀は、生前の彼女にはまるで似つかわしくない曇天の日にとり行われた。(p. 3)
とある。いきなり「クラスメイト」と明示してあるところに、後から読み返すと意図を感じますが、考えすぎでしょうか。
今回の『また、同じ夢を見ていた』の書き出しも、いきなり読者の興味をぐっと引いてくるものになっています。
先生、頭がおかしくなっちゃったので、今日の体育を休ませてください。
小学生なりの小さな手をきちんとあげ、立ち上がってそう言ったら、放課後職員室に来なさいと言われた上に、校庭もちゃんと走らされてしまったことについて、私、小柳奈ノ花は納得がいっていません。(p. 2)
ませたかわいらしい新キャラが来た! と思わせるような強烈な登場ですね。
小学生の主人公が幸せの意味を探して歩くロードムービーのような作品で、名作映画の有名な台詞が変化してあらわれたり、特殊な表現がそのまま伏線になったり。作者の遊び心のようなものが感じられました。
②『木漏れ日に泳ぐ魚』恩田陸 文春文庫
☆☆☆☆
記憶の探り合い、感情の探り合い。
舞台は始めから終わりまで、引っ越しの片付けが済んだアパートの一室。登場人物は二人。こんな推理ドラマがかつてあったでしょうか。
各章の終りに、あっと言わせるような事実が明らかになる。一つの謎が落ち着いたかと思えば、また次の謎。ネタ切れになることはない。ある男の死を巡る謎、二人の過去を巡る謎、それぞれの本心を巡る謎。惹きつけて離さない巧みさ。
ぜひ「一晩で」読んでほしい本ですね。
③『大家さんと僕』矢部太郎 新潮社
☆☆☆☆☆
ブックカフェで読んで、あまりにいいので結局買いました。
大ヒットした、素敵な笑いのあるマンガですね。それも口をあけて笑うんじゃなくって、とじたまま口角を上げて、目を少し細くして笑いたくなるような、じんわりと温かな笑い。
このセリフが好きでした。
年だからもう転べないのです
矢部さんはいいわね まだまだ何度でも転べて (p. 46)
控えめで素直な矢部さんと、世話好きでおちゃめな大家さんの関係の、かけがえのなさに心が温かくなる、そんな不思議な漫画です。
④『サラバ!』西加奈子 小学館文庫
☆☆☆☆☆
一人の人間の人生を徹底して描くことこそ、物語の王道であり真髄なのだと、自信を持っていわせてくれる作品です。
僕も皆と一緒になってふざけたが、やはりどうしても「受け」だった。自ら率先して面白いことが出来なかったし、やったところで溝口のような破壊力がないことはわかっていた。溝口の笑われる笑いは、溝口だから成立するのであって、僕のような人間がやると、同情されるか、白けてしまうのだ。(中p. 77)
読んでいるうちに、気づきました。これは僕の、あるいは僕だったかもしれない人間の物語だ、と。
時々考えるねん。
なんで俺やなかったんやろうって。
死んだ人は、なんで死んだんだろう。(中p. 164)
あらゆる人の、たくさんの苦しみ。決して解決出来ないものもあったし、どうしても納得出来ない残酷な出来事もあった。きっとそういう人たちのために、信仰はあるのだろう。自分たち人間では、手に負えないこと。自分たちのせいにしては、生きてゆけないこと。(中p. 298)
この物語で現れる、自分の存在の偶然性に対する疑問、祈る・願うことの意味についての疑問、虚数に対する疑問、あるいはジェンダーの問題は、『i(アイ)』(西加奈子 ポプラ社)で再び追求されることになります。
自分の生きてきた時間を肯定することの尊さ。信じるということの力強さ。読み終えたとき、心の芯にずしりと大切なものが残ります。
⑤『赤頭巾ちゃん気をつけて』庄司薫 新潮文庫
☆☆☆☆
日本のキャッチャー・イン・ザ・ライだ、と言われて読んだ本。
東大入試が中止になった年、日比谷高校3年生である主人公・庄司薫に起きた様々な困った出来事を、薫が饒舌に語る物語で、その語り口の勢いと若者らしさ、世の中に対する不満のぶちまけ方がホールデンをどこか感じさせますが、まったく似て非なるお話です。
50年も前の芥川賞受賞作ですが、今読んでもひやっとさせられるような、世の中に対する洞察がところどころ。
芸術にしても民主政治にしても、それからごく日常的な挨拶とかエチケットといったものも、およそこういったすべての知的フィクションは、考えてみればみんななんとなくいやったらしい芝居じみたところがあって、実はごくごく危なっかしい手品みたいなものの連続で辛うじて支えられているのかもしれない。(p. 93)
今のあらゆるコンテンツに通じるこんな言葉も。
つまりなんらかの大いなる弱味とか欠点とか劣等感を持っていてだな、それを頑張って克服するんじゃなくて逆に虫めがねでオーバーに拡大してみせればいい。(p. 133)
とにかく売りこむためには、そして時代のお気に入りになるためには、ドギツく汚くてもなんでもいいから、つまり刺激の絶対値さえ大きければなんでもいいんだ。(同)
⑥『フーガはユーガ』伊坂幸太郎 実業之日本社
☆☆☆☆☆
瞬間移動する双子、というアイデアがあって、その瞬間移動の意味について、何らかの含みを持たせようとしたのではないかな、と思います。
僕たちどちらかが経験すれば、それは二人で体験したのも一緒だった。(p. 184)
読みながらこう考えました。痛みやさみしさ、みじめさや情けなさという強い感情を共有する二人だからこそ起こりえた、奇蹟を伊坂さんは描いているのだ、と。
ユーモアが冴えわたり、懐かしいキャラクターの存在も垣間見えて、いつものことながらファンサービス精神旺盛な伊坂ワールドでしたが、本作における語りの工夫と、終わり方の何とも形容しがたい切なさは、今までにないものだったと、小学生時代からの一伊坂ファンとして思います。
話はそれますが、装幀が本当に素晴らしかったし、これは伊坂幸太郎という作家をもし知らない人がいたとしても、手に取りたくなるよう逸品だと思います。閑話休題。
⑦『宝島』真藤順丈 講談社
☆☆☆☆☆(MAXで星5つですが6つつけたいレベル)
新年早々、真打登場です。(昨年の作品ですが)今年はこれを超える作品を探す読書の旅になりそうな予感。
親友(イィドゥシ)の、実弟(ウットゥ)の、恋人(ウムヤー)のまなざしをその身に浴びながら。
雄々しく呼吸を深めて、オンちゃんはこう言ったのさ。
「さあ、起(う)きらんね。そろそろほんとうに生きるときがきた──」 (p. 10)
プロローグを読むだけで、胸の奥がかあっと温まって半ばくすぐったいような気持になってくる。ぞくぞくっと、久しぶりの読者震いがしてくるような。方言や異国の言葉を交えた、語りかけてくる物語は大好きです。『壬生義士伝』(浅田次郎 文春文庫)のような。ずっと誰かの声に耳を傾ける心地よさ。
この世界には、いったん転がりはじめたら止められないものがあるさ。貧乏とか病気とか、暴動とか戦争とかさ。そういうだれにも止められないものに、待ったをかけられるのが英雄よ。この世の法則にあらがえるのが英雄よ。(p. 121)
最高に気に入った台詞です。
勘弁してくれ、もう勘弁してくれ。この島の人たちはみんな、理不尽な運命にあらがう処世術を、身のよじれるような悲嘆や憎悪からの自衛手段を教えられて、いまもそれを次の世代へと引き継いでいる。(p. 422)
沖縄人の魂の叫びが胸を熱くさせるだけでなく、物語を語るということの意味まで考えさせるような、読み終えるまでに何度も手が震えてしまうほどの熱量と完成度を持った作品でした。一年の初めの月にこんな本に出会えてよかった。