つきよみ。

月に一度読書記録を書きます。

向こう側にある景色 - 4月の読書記録

 平成最後の読書記録です。今月も力強い作品が数多くありました。

 

 

 

①『木曜日の子ども』重松清 角川書店

 ☆☆☆☆☆

木曜日の子ども

木曜日の子ども

 

 重松清さんの最新作にして問題作。

 

父親になろうともがく主人公とその妻子が引っ越してきた場所は、かつて一人の中学生が凄惨な「木曜日の子ども」事件を引き起こした「聖地」だった。あの事件から七年。相次いで起こる新たな事件を目の前にして、父は子を信じ、助けることができるのか。

 

むさぼるように、読みました。今まで様々な父親の葛藤を描いてきた重松さんの、一つの到達点。「子ども」という得体のしれない存在に戦慄する主人公の心のとともに、読んでいる僕らの心が、刺され、斬られ、抉られていきます。

わたし、思うんですよ。世界を滅亡させるとか破滅させるとかって、よく言うじゃないですか。でも、ほんとうは誰も本気で世界のことなんて相手にしてるわけじゃないんです。本気で滅ぼしたいのは、もっと小さな、身近な、そこいらにいる誰かのことで……それを滅ぼすために、世界も『ついで』や『おまけ』で滅ぼされちゃうんじゃないか、って。(p. 263)

妙に説得力のある台詞に、読む側が「説得されたくない」ともがきたくなる。それでも、わからないことが恐ろしくて、怖いもの見たさで、どうしてもその「わけ」を知りたくて、ページを繰ってしまう。

 

終盤、主人公がマンションの屋上にのぼろうとするシーンで、空が迫ってくるように感じられる描写は圧巻でした。小説にしかできない、存在に対する揺さぶり。

 

読み終えた後、しばらく呆然として、それから少し考え直しました。この物語の結末が見せてくれる風景は、安易に解釈すべきものではないのだと。

 

 

②『夫のちんぽが入らない』こだま 講談社文庫 

☆☆☆☆

夫のちんぽが入らない (講談社文庫)

夫のちんぽが入らない (講談社文庫)

 

 タイトルが隠されてきた作品。

 

あらすじは言うまでもないでしょう。タイトルの通り。「だからなんだ」という人にこそ、この小説を読んでほしい。そういうことを言えなくさせるだけの言葉がここにあるのです。

 

途中、涙がこみ上げました。

 

子どもがいない、ちんぽが入らない。そんな「字面」の向こう側にある景色を、ユーモア交じりにさらけ出して見せる。そのユーモアには、切なさと同程度の可笑しさがブレンドされていて。おこがましいかもしれないけれど、この本を読むという経験が、どれだけ僕の世界を広げてくれたことか。

 

この文庫本は、あとがきや解説から読まない方がいいでしょう。そこまで含めて、一つの作品に仕上がっているから。

 

 

③『昭和史1926-1945』半藤一利 平凡社 

☆☆☆☆

昭和史-1945 (平凡社ライブラリー)

昭和史-1945 (平凡社ライブラリー)

 

 3月に広島を訪れた際、ふと「読まなくては」と感じて。

 

日本人は、明治の近代化の過程で築き上げていった国を、昭和の前半でいかにして滅ぼしていったか。その明快にして、人間味あふれる講義。

 

日本の中枢で権力を握っていた人々のやり取りの唖然とし、落胆し、憤慨し、まれではあるものの感心もしました。そしてあらためて、歴史は過ちこそまず学ばれるべき、と痛感しました。

 

自賛してばかりの歴史本が人気を博すこともありますが、それが第一になってはならないのでは、と。歴史を見るうえでの一つの視点として尊重はされるべきですが、過ちを繰り返してきた歴史をまず学んだうえで、それでも日本人はいいこともやってきた、と謙虚に捉えなおす。これくらいのバランスでよいのではないでしょうか。

 

少し長めの引用になりますが、こんな言葉が胸に残りました。

これは何もあの時代にかぎらないのかもしれません。今だってそうなんじゃないか。なるほど、新聞やテレビや雑誌など、豊富すぎる情報で、われわれは日本の現在をきちんと把握している、国家が今や猛烈な力とスピードによって変わろうとしていることをリアルタイムで実感している、とそう思っている。でも、それはそうと思い込んでいるだけで、実は何もわかっていない、何も見えていないのではないですか。時代の裏側には、何かもっと恐ろしげな大きなものが動いている、が、今は「見れども見えず」で、あと数十年もしたら、それがはっきりする。歴史とはそういう不気味さを秘めていると、私には考えられてならないんです。ですから、歴史を学んで歴史を見る眼を磨け、というわけなんですな。いや、これは駄弁に過ぎたようであります。(p. 268)

 

 

④『昨夜のカレー、明日のパン』木皿泉 河出文庫

☆☆☆☆☆ 

 古本屋で見つけて。木皿泉作品は初めて。

 

沁みる。いつか見たシーンが想像以上に悲しくてあったかい意味を持っていく。

 

大きな事件が起きるわけじゃない。何気ない日常のなかに、変わっていく関係と、変わることのない関係と、変わることをやめてしまった関係が共存している。流動的な関係のなかに、人生の機微のようなものを見出して、そこにあてた光が温かい。

 

ほっとさせてくれる、物語というものがあります。

思いがけない形で、登場人物の心が、今までとは少し違う、だけどしっくりくるところに落ち着いて、それに安心させられる。そう考えていたら、解説で重松清さんが同じようなことを書いていました。そういえば重松さんの家族を描いた作品の多くも、人を安心させるところがありますよね。

そういう物語は好きです。

 

 

⑤『ノースライト横山秀夫 新潮社

☆☆☆☆☆  

ノースライト

ノースライト

 

横山秀夫さん、6年ぶり最新作。

 

信濃追分に建てる新築の設計を頼まれた。しかし依頼主は、古い椅子を一つ新築の部屋に残して失踪。彼はなぜ姿を消したのか──。

その謎は、偉大な建築家の人生を巡る謎に、あるいは一建築士である主人公自身の人生を巡る謎につながっていく。

 

この本を読むまで、家とそこに住む人々の断ちがたいつながりについてなど、考えたこともありませんでした。

 

誰かの人生に、読み手である自分が取り込まれていくような感慨。芸術をこの世に遺すということの意味を改めて考えさせられました。

美しいものを、愛する者に、遺したい。届けたい。届かぬ思いさえ、届くと信じて。

あるのは光の記憶だけだ。優しい光のその中へ戻りたいと渇望することがある。
渡り歩いた飯場は、どこも不思議と北側の壁に大きな窓があった。その窓からもたらされる光の中で、本を読んだり絵を描いたりするのが好きだった。差し込むでもなく、降り注ぐでもなく、どこか遠慮がちに部屋を包み込む柔らかな北からの光。東の窓の聡明さとも南の窓の陽気さとも趣の異なる、悟りを開いたかのように物静かなノースライト──。(p. 28)

引き込まれた描写です。

誰かが誰かを思う気持ちが絡まりあって、謎をはらみ、美しい物語になった。柔らかな光が「差し込むでもなく、降り注ぐでもなく、どこか遠慮がちに」、その物語を包み込む。心地よい、優しい光だ。

 

最高傑作を読んでしまいました。

 

 

⑥『卵の緒』瀬尾まいこ 新潮文庫

 ☆☆☆☆ 

卵の緒 (新潮文庫)

卵の緒 (新潮文庫)

 

 『そして、バトンは渡された』(文藝春秋)で本屋大賞を受賞した瀬尾まいこさんのデビュー作。友人の勧めで。

 

血を超えたつながりの温かみを描いた前半の中編「卵の緒」にこたえるように、血のつながりが持つ温かみを後半の中編「7's blood」が描いているように思いました。

 

小説というものは、ありふれた言葉でくくることのできない関係を、できるだけそのままに描き出そうとするもの。だとすれば、ここに描かれている関係性の、なんと温かく、かけがえのないことか。

 

叫びたくなりました。母さんさいこう。育生さいこう。朝ちゃんさいこう。七子も七生もさいこう。

 

登場人物たちの言動にたいして、どうしてこんなことができるのだろう、という違和感と同時に、本来こうあるべきなのではないか、という納得感が湧いてきて、そういう違和感と納得感がないまぜになったような心地に、登場人物たちが読む人をひきつけてやまない原因があるのかもしれません。

 

 

⑦『泣き童子 三島屋変調百物語参之続』宮部みゆき 角川文庫

☆☆☆☆☆

 三島屋シリーズ第三作。

 

怪奇な話と見せかけて、どこにでもある話をしてみせたような「魂取の池」、災厄と愛する人の死が、不思議な夢と結びついていく「くりから御殿」、人の闇を突きつける「泣き童子」、人の情にあふれた怪異談「小雪舞う日の怪談語り」、世にも恐ろしい怪物を描く「まぐる笛」、そして今までにない読後感の「節気顔」。

 

巻を重ねるたびに満足度も増しています。

 

不思議だけれどほっとする怪異もあれば、心の臓が縮み上がるような怪異もあり、背筋に冷や水を落とされたような怪異もあれば、切なく涙を誘う怪異もあり。

 

なかでも表題作「泣き童子」にはぞっとさせられました。聞き手であるおちか同様、読み手である僕らにも、物語のいきつく先が次第に見えてくる。最もそうなってほしくない形で物語が進んでいくことを理解していながら、そうならないことを確認したくて、そうならないことを願いながらページを捲る。怖いもの見たさとは少し違う感覚ですね。

 

次作は6月に文庫化とのこと。

 

 

⑧『生きてるだけで、愛。』本谷有希子 新潮文庫

☆☆☆☆ 

生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)

生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)

 

 映画を観て原作が気になって。

 

劇作家が書くだけあって、台詞一つ一つに込められた熱量がすごい。

ねえ、あたしってなんでこんな生きてるだけで疲れるのかなあ? 雨降っただけで死にたくなるって、生き物としてさ、たぶんすごく間違ってるよね? (p. 106)

あるいは。 

いいなあ津奈木。あたしと別れられて、いいなあ。(p. 107) 

生きてるだけでいいんだよ、なんていう安易な全肯定ではない。何もかもうまくいかない、自分とのかかわり、他人とのかかわり。どんなに自分を叱っても、嫌っても恨んでも蹴飛ばしたくなっても、自分は生まれた時から自分のままで。生きてるだけで、こんなに疲れる。だけどそんな人生で一瞬だけ、「脳細胞がしびれるくらい強烈で鮮烈な」つながりを、誰かとの間に感じることができたら。

 

心の目に焼きつく名シーンにあふれた小説でした。