つきよみ。

月に一度読書記録を書きます。

人生を生きよう - 7月の読書記録

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 【どんな本を、読んできましたか。】こわい本も、やさしい本も。

 

 

①【帰らぬ人に、会いたいですか。】『三鬼 三島屋変調百物語四之続』宮部みゆき 角川文庫

 ☆☆☆☆☆ 

三鬼 三島屋変調百物語四之続 (角川文庫)

三鬼 三島屋変調百物語四之続 (角川文庫)

 

三島屋シリーズ第四作。

 

シリーズものを何作か読むと、心の一角にその物語専用の空間ができたようで、久しぶりに懐かしい場所に戻ってきたような感慨を覚えます。

このシリーズの、何が面白いって、怪しい物語を語る語り手がいて、聞き手であるおちかがいて、読み手の僕らがいて、僕らはおちかよりも一歩離れたところで語りに耳を傾けている、そのはずなのに、いつのまにか語り手の物語の中にいる。その、壁に掛けられた絵画を眺めていたら、いつの間にか絵画の風景の中に佇んでいるような、意識が世界の境界を越えていく感覚が、たまらなく心地よい。

 

今回は長めの物語が四つ。亡者とのかかわりを描く「迷いの旅籠」、弁当屋と神様の邂逅を描く「食客ひだる神」、人の罪とタブーをめぐる「三鬼」、香具屋の奇妙なしきたりをめぐる「おくらさま」。

 

胸をつかれたのは、こんな語り。

生きている者たちは、死者にはもう、この世で彼らと交じって暮らすことはできないと決めつけているのだ。その寂しさと、いくばくかの後ろめたさをやわらげるために、盆や彼岸の仕来りを設けて済ませている。(p. 127)

死んでしまった誰かに、もう一度会いたい。その一方で、生と死の境を破り使者と触れ合うことは、恐ろしいことだと思っている。どちらかだけに与することのできない相反する気持ちを、誰もが抱えている。その気持ちに、どう折り合いをつければいいのか。「迷いの旅籠」は、一つの答えを与えてくれます。

 

これが、寂しいってことでしょうか。(p. 338)

そして、「食客ひだる神」。『あんじゅう』(シリーズ2作目)の表題作でも感じたことですが、愛おしいあやかしを生み出す宮部さんの手腕はものすごい。あやかしにせよ何にせよ、人生においていつもすぐそばにあったもの、迷惑だろうが恩恵だろうが、自分に影響を与え続けたものには、他に代えがたい愛おしさがあるのです。

  

鬼は、人から真実を引き出す。(p. 486) 

ベストはやはり表題作、「三鬼」。日本にはたくさんのタブーがありますが、これもきっとその一つ。積み重ねられてきたタブーに覆い隠された真実は、読む者・聴く者の心をひっつかんで離さない。

 

「おくらさま」のラストには主人公のおちかが大きく成長し、次作への期待がまた膨らみます。

 

 

②【どうしても、手に入れたいものはありますか。】『夜市』恒川光太郎 角川ホラー文庫

 ☆☆☆☆ 

夜市 (角川ホラー文庫)

夜市 (角川ホラー文庫)

 

恒川光太郎さんデビュー作。第12回日本ホラー小説大賞。第134回直木賞候補作。

 

──今宵は夜市が開かれる。

夕闇の迫る空にそう告げたのは、学校蝙蝠だった。(p. 7)

冒頭から引き込まれる表題作の「夜市」は、何でも手に入る、神出鬼没の夜市を訪れた兄弟の物語。 

暗がりをしばらく歩くと、やがて前方に青白い光が見えてきた。木々がまばらになり、決して眩しくはない。仄かな青白い光に、闇が切り取られていった。(p. 14)

夜市という不可思議で幽玄な空間が、淡々と語るさっぱりとした文章の向こうに立ちあがってくる。僕ら自身が夜市を訪れ、登場人物の人生を生きたかのように感じられる。そして、「なにかがいつかどこかにあったのだ」というくらいの淡い余韻を残して、物語は向こうの世界へと戻っていく。

 

あわせて収録された「風の古道」も好きでした。全国の路地裏にある、もう一つの世界で繰り広げられる、生と死の、深遠な移り変わり。どちらの物語も、異世界に生きる者の人生を描いているのですが、その人生が切なくてやるせなく、それでいて絵のように美しい。

 

他にはない世界観を作り上げられる作り手は貴重です。

 

 

③【あなたを訪ねる、小鳥はいますか。】『ぼくの小鳥ちゃん』江國香織 新潮文庫

 ☆☆☆☆ 

ぼくの小鳥ちゃん

ぼくの小鳥ちゃん

 

路傍の石文学賞受賞作。荒井良二さんの挿絵。素敵な挿絵です。

 

いやんなっちゃう。中途半端な窓のあけ方。(p. 8)

そんな言葉とともに、いきなり僕の部屋にやってきた小鳥ちゃん。ちょっぴり不安でおぼつかなくて、だけどあたたかでかけがえのない、そんな関係を肯定してくれる物語

 

その小さな寝息にあわせ、小鳥ちゃんの小さくてあたたかなからだはごくかすかに上下して、そのたびに掛け布団がわずかながらもちあがる。ぼくはそれをみているのが好きだ。(p. 48)

「好き」のある物語、というのがいいのかもしれません。それも、理屈っぽくない、「好き」。おみやげ、ラム酒のかかったアイスクリーム、ガールフレンドのバスケット、モーツァルト、終わりのないしりとり、古いハリウッド映画、洗濯機のうねり。

 

あたしの好きなたべものはそういうのじゃないもの (p. 31)

マイペースで欲しがりで、言いたい放題でかまってちゃんの小鳥ちゃんが、「ぼく」を、あるいは本の外にいるたくさんの「僕」らを引きつけてしまうのは、なぜなんだろう、と思います。小鳥ちゃんが気を引くのが上手、というのもあるかもしれないけれど、きっと。小鳥ちゃんの淋しさ、翳りのある小さな背中が、どうしようもなく心のどこかに引っかかってしまうのだ。どこへでも行ける、だけどどこにもたどり着けないような、危うさ。居場所が「ぼく」のところだけではないふりをしながら、かといって「ぼく」よりも有利な立場に立てるわけでもないおぼつかなさ。もっと身近な話にするなら、「ぼくの小鳥ちゃん」にはなれても、「ぼくのガールフレンド」にはなれない、ガラス一枚の、近いのに越えられない隔たり。この小鳥ちゃんの気持ちを知っている人は、実はたくさんいるんじゃないだろうか。

 

 

④【自分の人生を、生きていますか。】『水曜の朝、午前三時』蓮見圭一 新潮社

 ☆☆☆☆ 

水曜の朝、午前三時

水曜の朝、午前三時

 

父の書斎から。

 

「僕」があこがれ、愛してやまない、四条直美が遺した四巻のテープ。

 

大切な言葉が、たくさん詰め込まれた物語でした。一人の女性が、娘に遺した自分の人生、すべて。

 

私はこれまでに何千冊もの本を読んできたけれど、それ以上に日々の暮らしから学ぶことの方がずっと多かった。(p. 12)

結局のところ、人は誰でも小さな世界に生きているのです。そこがよき世界であれば幸いですが、そうでなければどうすればいいのでしょう? そして、もしそこが個人の努力や決断だけでは抜け出すことのできない場所であったとしたら?(p. 46)

後悔することを恐れて口を閉ざしている人は、私の知る限り、不幸に見舞われることもない代わりに幸運に出会うこともほとんどなかったように思います。(p. 194)

伝わってくるのは、彼女の人生の力強さ。これを誰かは、身勝手でわがままな女の昔語り、と切って捨てるかもしれないけれど、僕は。これは彼女が人生にぶつかって生きてきた記録なのだと思いました。幸せとか不幸せとか、そんな使い古された陳腐な言葉ではくくれない、彼女にしか生きられない人生だったのだ、と。後悔がないわけじゃない、きっと別の人生もあった。だけどこれが私の人生──。そう伝えている彼女の人生を、誰が否定できるだろう。10年後、20年後、あるいは、終わりを迎えるその時、僕はどんな言葉で人生を振り返るだろうか。僕は僕の人生から、誰かに何かを伝えられるだろうか。

曖昧なネタバレを恐れずに言うなら、この物語はハッピーエンドではないと思います。ただ、読み終えた人にこう思わせる終わり方ではある。


本を閉じて。
人生を生きよう、と。

 

 

⑤【守りたいものは、ありますか。】『いなくなれ、群青』『その白さえ嘘だとしても』『汚れた赤を恋と呼ぶんだ』河野裕 新潮文庫

 ☆☆☆☆☆ 

いなくなれ、群青 (新潮文庫nex)

いなくなれ、群青 (新潮文庫nex)

 

 

その白さえ嘘だとしても (新潮文庫nex)

その白さえ嘘だとしても (新潮文庫nex)

 

 

汚れた赤を恋と呼ぶんだ (新潮文庫nex)

汚れた赤を恋と呼ぶんだ (新潮文庫nex)

 

今年第6作で完結した、人気シリーズ。その前半3作。

 

その世界に漂う空気感、その文体にある肌触り、それがどうしようもなく好きな小説というものがあって、このシリーズがまさに。

 

捨てられた人々の島、階段島で平和な日々を送るぼくのもとに、もっとも会いたくない彼女が現れた。彼女の名前は、真辺由宇。

「この物語はどうしようもなく、彼女に出会った時から始まる。」

 

二人の関係を表す言葉を、僕はまだ知らない。(p. 64)

真辺由宇と、僕の関係性の揺らぎ・移り変わりが、物語の中心にあるのだけれど、この二人がとにかくいい。脇目も振らず、理想へとひた走る真辺由宇。諦めて受け入れることの安らぎを説く僕。理想を求めることの尊さも残酷さも、諦めることの歯がゆさも安らぎも、どれも痛いほどわかってしまうから。だから、二人の相容れなさは読者の「心を穿つ」のだと思う。

 

好きな一節を、いくつか。まずは、『いなくなれ、群青』から。

ねえ、真辺。人は幸せを求める権利を持っているのと同じように、不幸を受け入れる権利だって持っているんだよ。(p. 216)

遠く離れていても、信じられないくらいに明るい星が、僕たちの頭の上にはあるんだよ。それがなんだか嬉しいんだ。(p. 222)

いいかい、真辺。
女子高生はなんとなく全力疾走するべきじゃない。(p. 267)

間違うしかなくて、間違い方しか選べないような問題が、僕たちの周りには溢れている。(p. 288)

 つづいて、『この白さえ嘘だとしても』。

振り払われるとわかっていても、頰をひっぱたかれるとわかっていても、それでも誰かを抱きしめるべき場面というのが、きっとこの世界にはあるのだろう。(p. 97)

オレたちは主人公なんだから、そんな日もあるよ。(p. 130)

 『汚れた赤を恋と呼ぶんだ』。

だから、君の事情がわかるとは言えない。どれだけ話をきいても、きっと色々な誤解があるんだと思う。でもこれだけは約束できる。僕は君の事情を誤解しているんだということを、決して忘れないよ。(p. 232)

これが真辺由宇の声だ。力強くて、切実で、鋭利で、脆い。ほかの誰より綺麗な、否定する理想主義者の声だ。(p. 276)

 

心を描いた小説、といえば、僕は村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を思い浮かべます。そこには人の心のなかの風景が描かれていて、主人公は心を探し続けている。このシリーズにもそれに通じるところがあると思う。ここには心のなかの風景に似た世界があって、主人公は自分や他者に向けた言葉や行動を通じて、心と対話し続けている。程度の差はあれ、物語とはそういうものだけれど、このシリーズではそれが他よりもずっと直截的だ。心との対話。自分自身の声に、じっと耳を傾ける、身近でいて神聖な営み。

 

残り3作も、できる限り早めに読めますように。

 

 

⑥【心の隙間に、気づいていますか。】『ぼぎわんが、来る』澤村伊智 角川ホラー文庫

 ☆☆☆☆☆ 

ぼぎわんが、来る (角川ホラー文庫)

ぼぎわんが、来る (角川ホラー文庫)

 

澤村伊智さんデビュー作。第22回日本ホラー小説大賞

 

正直言って、ホラーと名のつくものは、小説でも映画でもあまり触れてこなかったような気がします。これを読んで気づかされたのが、「食わず嫌いをしていた」という事実。

こんなことだろうと思っていました。(p. 123)

第1章を読み終えて、 構成の巧みさに唖然としました。鮮やかな伏線の回収。そして、化け物の古めかしい新しさ。化け物が標的に接近する方法も、標的が化け物を読んでしまう理由も、今の時代だからこそ、生々しく映る。

前章で描かれたことを裏返していくような第2章。さらにそのまた別の面を見せてくれる第3章。ミステリーとしての完成度の高さ。

化け物が恐ろしさを発揮する迫真の場面は、他と異なる文体で。ひやっとさせる小道具を極限までちりばめた後の、突然飛び込んでくる描写に、身がすくむ。化け物の姿に、そして大切なものを失った人間の叫びに、戦慄する。

 

ネタバレをしたくないがために、かなり曖昧に書きましたが、読まれた方にはうなずけるところがあるかと思います。人間の醜さを抉り出し、恐怖に変えている小説は、こんなに「怖い」のだ、と気づけたことは大きな発見です。

そしてラストシーン。恐怖は最後まで消えない。

 

 

⑦【あなたの心にある、物語はなんですか。】『人質の朗読会小川洋子 中公文庫

 ☆☆☆☆ 

人質の朗読会 (中公文庫)

人質の朗読会 (中公文庫)

 

 家の本棚で発掘。

 

すでにこの世にいない誰かの声をテープで聞く、という点では、『水曜の朝、午前三時』と同じ。だけどこちらは、語り手もばらばら、内容もばらばら。同じなのは、名前も知られていない地球の裏側の村で人質になり、解放のめどが立っていない、という状況だけ。

 

杖で誰かを助ける話、ビスケットを選ぶ話、談話室での会合の話、孤独なおじいさん、スープ作りの名人、やり投げをする青年、死んだ祖母に似ているといわれがちな女性、知り合いがくれた花束。語られるのは、日常のさりげない、ともすれば日々の中に埋もれていってしまいそうな、それでも今の今まで忘れることのできなかった、出会い、出来事。

 

なかでも「B談話室」がお気に入りでした。

ああ、そうか、彼が死ぬと一つの言語が死ぬのか、だからこれは言語の死に向けられた祈りなのだ、そうして皆洞窟に染み込んだ響きの名残りに耳を澄ませているのだ、と僕は思う。(p. 73)

短い物語の中に、誰かの人生が浮かび上がってきて、その人生に想いを馳せているうちに、最後の一文がくる。それから、その物語を語った人物のプロフィールを知る。それが人質のひとりであることを思い出す。もういない誰かであることにしゅんとする。

 

──ささいなことなのだけれども、ずっと胸の片隅に引っかかって消えない記憶というものがある。(p. 241)

そして佐藤隆太の解説がこれまたいい。小川さんのかつて書いた小説のあとがき。「どんなことがあってもこれだけは、物語として残しておきたいと願うような何かを誰でもひとつくらいは持っている」。僕の場合は。小さなころ、と言っても年齢はわからない、おそらくは7歳か8歳くらいの頃、コンビニでの出来事だ。それが何だったのかも覚えていない、とにかく商品棚に置かれたお菓子か何かをポケットに入れようとした、そんな記憶がある。いたずらのつもりだったのか、どうしても欲しかったのか、とにかく手が伸びていて、とにかく何かが手の中にあった。びくびくしていた覚えはないけれど、それが悪いことだという自覚はあったのだろう、ふいに知らない人の声がして、動きが止まった。振り向くと、見慣れないおじさんがそこにいた。怒っているわけでもなく、「戻しておきな」とか、なんとか、優しい言葉で僕に促した。僕は何かを棚に戻して、ごめんなさいもありがとうも言えずに、店をあとにした。とても曖昧な記憶だ。どこのコンビニだったのかさえ覚えていない。いや、コンビニがあった場所は見当がついているのだけれど、今その場所にコンビニはなく、かつてあったという確証もない。ただ、あのとき誰も僕に声をかけずに、その何かを持ち去ることができてしまっていたら、僕の人生はまるで違うものになっていた気がしている。