つきよみ。

月に一度読書記録を書きます。

思い、思われること - 8月の読書記録

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 2日遅れてしまいましたが、8月の読書記録を。

 

 

①【ほんとうに怖いものは何ですか。】『などらきの首』澤村伊智 角川ホラー文庫

 ☆☆☆☆☆ 

などらきの首 (角川ホラー文庫)

などらきの首 (角川ホラー文庫)

 

『ぼぎわんが、来る』『ずうのめ人形』に続く比嘉姉妹シリーズ短編集。

 

ホラーというよりミステリーの要素が強く感じられる短編集でした。

この貸事務所では、夜になると子供の声がするらしい。
そして声を聞いているうちに──自分まで痛みを感じるようになる。(p. 8)

「ゴカイノカイ」は、夜になると子供の声が聞こえる貸事務所の話。お馴染みの怪異、といった印象ですが、真相は意外なところからこぼれ出て、並みのホラーとは一味もふた味も違うのだと、読者を身構えさせてくれる「お通し」みたいな第一短篇。

そこから「学校は死の匂い」「居酒屋脳髄談義」「悲鳴」「ファインダーの向こうに」「などらきの首」とつづきますが、ずば抜けていたのは「学校は死の匂い」、痛快でおすすめなのが「居酒屋脳髄談義」でした。

 

学校は危険だ。家よりもずっと危ない。(p. 83)

「学校は死の匂い」は、雨の日の体育館で起こる怪異の謎を解くお話。真相があまりに切実で、泣きそうになっていたら、結末にすっかりやられてしまいました。最後まで目を離しちゃいけない。

 

女は子宮で考えるっていうだろ、な?(p. 106)

「居酒屋脳髄談義」は、ほかのどの話よりも会話の肌触りが悪く、たぶんその肌触りの悪さがわからないと痛快さもわからない。女性蔑視丸出しのセクハラ発言を繰り返す男たちと、鮮やかな切り返しを見せる一人の女。酒席の会話は、一見ホラーとは異なる緊張感を持って、進んでいく。そして徐々に、会話の中から、あるいは女の流暢の語りの中から、奇妙さが、恐ろしさが、にじみ出てくる。シリーズの重要人物が登場するラストには、痛快、と言い切りたくても言い切れない、ぞわりと背筋をなぞるものがありました

 

 

②【喧嘩の絶えない相手はいますか。】『シーソーモンスター』伊坂幸太郎 中央公論新社

 ☆☆☆☆ 

シーソーモンスター (単行本)

シーソーモンスター (単行本)

 

  8作家による「螺旋」プロジェクトの「昭和後期」「近未来」にあたる中編2作。

 

バブルに湧く日本を舞台に、嫁姑対立と米ソ冷戦を描く「シーソーモンスター」は『グラスホッパー』シリーズを髣髴とさせ、(今よりもさらに)監視社会となった未来を描く「スピンモンスター」には『ゴールデンスランバー』や『モダンタイムス』から続くテーマが垣間見えて。

 

みんな、うすうす、こんなのは長く続かない、いつか破綻するって分かっていたんだよ。だけど、もう少し長く続くと信じて、目を逸らしていたの。今の日本もそれと同じじゃないのかな。(p. 100)

「シーソーモンスター」は、嫁姑対立というテーマはありきたりなものの、次々と降りかかる災難と切り抜ける宮子のかっこよさで読ませてくる。一つの気づきは、伊坂さんらしい印象的な台詞が、時代背景という(現代という設定には存在しない)助けを借りると、一層強く響くということ。これを機会に、時代小説(過去の時代背景を借りて物語を展開するもの)なんかに進出してもいいのでは、と思ったり。

 

つづく「スピンモンスター」は、「シーソー」からの伏線も鮮やかに回収しつつ、テーマをより強く打ち出していました。支配者によって情報は操作され、世界は分断されて、対立のための対立が生み出されていく昨今。人工知能が情報と事実を作り出し、人間までも支配しようとする中で、人は何にすがり、何を信じて生きていけばいいのか。

ただ、人の感情までは完璧にコントロールできねえんだよ。(p. 425)

対立を受け入れるしかない諦めの中に、ちゃんと希望を持たせているエンディングが心地よかったです。

 

 

③【あなたはいつも「演じて」いますか。】『舞台』西加奈子 講談社文庫

 ☆☆☆☆☆ 

舞台 (講談社文庫)

舞台 (講談社文庫)

 

広島で手に入れた古本をやっと。

 

羞恥心の強さから、虚栄心を抑えつけ、自分を演じて生きてきた。太宰の『人間失格』に自分を見いだし、作家である父の存在を何より忌み嫌った。そんな葉太(29歳)の、初めてのニューヨーク。

 

そのときの葉太は、自分史上最も強大な恥の意識に、がんじがらめにされていた。(p. 79)

共感できる部分と、共感できずに葉太を標本のように見てしまう部分と。しかしこれは、怖い本です。自分が周囲の人の中でどれだけ自分を出し、どれだけキャラクターを演じ、演じ分け、人生を生きているのか、その境界線というか、輪郭のようなものが、葉太の言動に対する自分の率直な反応から、浮かび上がってきてしまう。

社会には、「ここまではセーフ」「ここからはアウト」というラインが、目に見えないが、厳然としてある。(p. 135)


これでいいの?
これで合ってる?(p. 140)

程度の差こそあれ、恥という気持ちは誰もが抱えています。そして多くの場合、恥じるという行為はとても孤独で独りよがりなもの。道を歩いているときにつまずくと、何事もなかったかのように歩き直しながら、誰かに見られていたかどうかを気にしてしまう。大きな集まりで周囲の人と違う服装をして目立ってしまうことをひどく恐れる。はじめての場所で振る舞い方がわからずに困っても、聞くと目立つのでこっそり周りを見て真似る。ほとんどの場合、自分のことなど周りの誰も気にしていないのに。まるで誰かにじっと観察されているかのように、僕らは恥じる。そして時には、恥じてしまうことそれ自体を、どうしようもなく恥ずかしがったりする。その少し極端な例が、葉太なのだと思います。(こうして「少し」極端と書くだけで、自分と葉太の距離感がばれてしまう。)

 

巻末に、著者の西加奈子さんとタレントの早川真理恵さんの対談があって、そこで西さんがこんな風にいいます。

よく言われている「そのままでいいんだよ」とはまた違う、「自分を作っててもええやん」ということを、書いていて強く思うようになったかな。(p. 201)

それから二人の話題は、誰かの前で演じることをもっと肯定していきたいな、という話になっていくのだけれど、このトークがとにかく優しい。人の振る舞いの向こうには必ず、表には現れていない思いとか苦しさがあるんだから、そこまで想像して受け止めてあげたいね、と。こんなふうにまとめてしまうと薄っぺらくなってしまうから、とにかくこの対談だけでも読んで欲しい人がたくさんいる。

それから芸能界、テレビの人のことも話題にのぼるけど、人前にあまり出ない人でさえ、自意識に苦しむのに、大勢の人の前で自分を晒す役割の人の苦しみはどれほどか、と想像してしまう。もちろん苦しみは比べられるものではないけれど、知り合いの顔が幾人か浮かんだ。

西加奈子の作品を読むと、物語の役割は、苦しんでいる誰かに答えを与えてあげる、というより、まず第一にその苦しみに寄り添って、「苦しいね」と受け止めてあげることなんだ、と痛感させられる。それは物語だけでなく、目の前で誰かが苦しんでいる時、まず第一にすべきこととも通じている気がする。よく言われることかもしれないけれど。

 

 

④【お別れはいつも悲しいですか。】『大家さんと僕 これから』矢部太郎 新潮社

 ☆☆☆☆

大家さんと僕 これから

大家さんと僕 これから

 

 ベストセラー漫画『大家さんと僕』の続編にして、完結編。 

 

大家さんと僕が出会う前も、僕はしあわせでした。でも大家さんと出会って、僕はしあわせになりました。

この物語が終わってしまうことは悲しいことなのだと、身構えて読み始めました。だけどきっと、そんな単純なことではなかった。

えんぴつが 元気な人にしか
使えない道具だなんて
僕は知りません でした (p. 97)

ほっこりする笑いに包まれた日常の中に、しかし確実に影は迫りつつあって、それを受け入れたくない矢部さんがいて。 

急いだ登りでは 見えなかった景色を
違う角度から ゆっくり見てるんや (p. 152)

お笑いはオチが大切だけど、この漫画短編集の最後のコマにはみな、何とも言いようのない余韻があって。特に最後から三つ目の、「大家さんのお話」。このラストの余韻は、小説では、きっと描けない、漫画であってこその、あるいは、矢部さんの作品であってこそのもの

 

 

⑤【愛せなかった人を、どう悼みますか。】『永い言い訳西川美和 文春文庫

 ☆☆☆☆☆ 

永い言い訳 (文春文庫)

永い言い訳 (文春文庫)

 

 友人の薦めで。著者が監督として映画化もした話題作。直木賞候補作、山本周五郎賞候補作、本屋大賞ノミネート。

 

妻が死んだ。作家・衣笠幸夫は、同じ事故で亡くなった妻の友人の一家と出会い、母を失った子供たちの世話役を買って出る。

信じられる? たった一人の奥さんが、年に一度きりの旅行でさ、どこへ行ったか、何しに行ったか、先生は、これっぽっちも知らないんだよ。ばかだよほんと。(p. 49)

様々な視点で語られる、幸夫と、妻の友人の一家の物語なのですが、 視点の選択がどれも絶妙で、いちいち唸らされました。母を亡くした子供たち、その兄の健気さと、妹のあどけなさ。幸夫の浮気相手の葛藤。幸夫を描く語り手の、どこか冷めた視点も。

子供が子供で居られるときっていうのは、今のこの一瞬しかないんだよ。(p. 255)

子どもたちと交流から、しだいにひとを思う心を得ていく幸夫。彼が見せるこの変化を、都合がいいとか、亡くなった奥さんのことはどうしたとか、結局何もわかっていないと、非難するのは簡単です。けれど、いままで人を愛することを忘れていた人間が、愛しやすい誰かを愛しているという自分像の中に逃げ込んだとして、その身勝手さを、責める権利が誰にあるだろう?

自分を大事に思ってくれる人を、簡単に手放しちゃいけない。(p. 312)

作家であるだけに、口が上手いのかも、しれない。自分を棚に上げているのかも、しれない。都合のいい饒舌なのかも、しれない。だけど、彼の言葉は胸を打ったし、終盤、愛する人のために、つんのめりながら走る彼の姿には、涙がこぼれました。

ひどすぎる。あまりにひどい。どうしてぼくらは、大事なものを傷つける? 見えてるサインを見殺しにして、摑みかけた手も、放してしまう。チャンスを常に台無しにする。どうしてこんな風に何度も踏み外して、何もかもを駄目にするの。嫌になるよ。(p. 287)

永い、言い訳。誰かを失って初めて、見えてくる愛の形があり、言葉にできる言い訳がある。喪ったひとを悼む、というのは、だれかと離れて悲しくて涙を流す、ことで終わりではなく。その人がいない、その人抜きの関係性の中に自分の居場所を見つけ直して、その状態でもう一度、かつてあったその人との関係性を振り返ったときの、あらためて訪れる別離の感。とでもいうようなものなのかもしれません。

そして初めに触れた、視点あるいは描き方の自由自在な変化は、読者に特定の見方を押し付けない。いいお話を書きました、さあ泣いてください、ではなく、いいお話に見える作品を書きました。泣ける話にも、冷める話にも読めます。そもそもいいお話ですか? さあ、自分で考えてください。と、どちらかと言えばこちら。

いい作品でした。 

 

 

⑥【昨日、夢で逢いましたか。】『クジラアタマの王様』伊坂幸太郎 NHK出版

 ☆☆☆☆ 

クジラアタマの王様

クジラアタマの王様

 

伊坂幸太郎さん長編最新作(書き下ろし)。川口澄子さんのコミックが小説の合間合間に挟み込まれ、物語の一部になっている。

 

夢の中での、モンスターハンターじみた戦いと、現実世界の災難がリンクする。僕らは何のために戦っているのか。

 

どうしてそんな風に、僕たちを叩き潰すような言い方ができるのか。(p. 61)

クレーム処理、異物混入、謝罪会見、上司のパワハラ、マスコミの過剰報道、世間の「正義」を笠に着た社会的制裁。そしてパンデミック。現代のテーマが満載でした。登場人物の中で応援したくなったのは、主人公はもちろんのこと、脇役ながら存在感のある、栩木係長。主人公ではないものの、栩木係長、頑張れ、とつい思ってしまうのは、彼女もまた、理不尽なものと戦っているから。

川口さんの挿画もいい味を出していて、これまでにないムードを伊坂作品に与えています。(これは引用のしようがないのが残念。)

読み終えた後、そういえば最近よく見るあの夢は現実とつながっているのかな、とか、久しくハシビロコウにお目にかかっていないなあ、とか、そんなことを思いました。

 

 

⑦【見えない戦争に気づいていますか。】『となり町戦争』三崎亜記 集英社文庫

 ☆☆☆☆ 

となり町戦争 (集英社文庫)

となり町戦争 (集英社文庫)

 

先輩の薦めで。

 

となり町との戦争が始まった。しかしその戦争の影を、「僕」は一向に見つけることが出来ない。増えていく戦死者の数。となり町での偵察、そのための同棲生活。「僕」は戦争を見つけることが出来るのか。

 

この複雑化した社会の中で、戦争は、絶対悪としてでもなく、美化された形でもない、まったく違う形を持ち出したのではないか。実際の戦争は、予想しえないさまざまな形で僕たちを巻き込み、取り込んでいくのではないか。その時僕たちは、はたして戦争にNOと言えるであろうか。自信がない。僕には自信がない。(p. 92)

見えない戦争に否応なく巻き込まれていく主人公の姿に、つい今の時代の自分たちを重ねてしまうのは、きっと僕だけではないと思います。実感の湧かない出来事が、それでも確実に自分たちを巻き込んで起きているということに、僕らのうちの何人が意識的なのか。何人が「僕」のように、見えない何かを「感じ」ようとしているだろうか。どうやら、隣の国との外交がはちゃめちゃらしい。どうやら、言論は封殺されつつあるらしい。どうやら、分断は広がっているらしい。どうやら、貧困はいたるところにあるらしい。どうやら、どうやら、どうやら。この時代は、あるいはいつの時代も、感じようと努めなければ、見えない「どうやら」ばかりだ。

あなたはこの戦争の姿が見えないと言っていましたね。もちろん見えないものを見ることはできません。しかし、感じることはできます。どうぞ、戦争の音を、光を、気配を、感じ取ってください。(p. 122)

主人公は「香西さん」というこれまた透明感のある雰囲気を持った女性との触れ合いを通じて、戦争の輪郭、影のようなものを感じ取っていくのですが、考えさせられたのは、自分の気づかぬところで払われている、けれどどこかで自分とつながっている犠牲に、僕らはどこまで目を凝らし、耳を澄ませることができるのか、ということ。あるいは、どこまでそう「すべき」なのか。ふだん意識を傾けていないものへの意識を、淡々とした語りで喚起する、そんな物語でした。

 

 

⑧【ほんとうに大切な、だれかはいますか。】『ののはな通信』三浦しをん 角川書店

☆☆☆☆☆ 

ののはな通信

ののはな通信

 

第25回島清恋愛文学賞、および第7回河合隼雄物語賞受賞作。

 

この作品をどうしても記録に加えたくて、いつもより更新を遅らせてしまいました。

 

野々原茜と牧田はな。お嬢様学校に通う二人は、互いに心を打ち明けあい、いつしかののは、はなに友情を超えた気持ちを抱く。少女から大人へと続く、30年近くにわたる心の交流。

 

野の花がカバーから見返しまでたっぷりと描かれた装丁が可愛らしく、カバーを外すと書簡体小説にふさわしい仕掛けも施されていて。

 

本当の愛や好意は、もっとひそやかで深いものでしょう。心を打ち明けたいけれど、ためらってしまう。自分の思いが相手を驚かせ、戸惑わせ、傷つけてしまう可能性があればあるほど、愛は心の奥深くに埋めるほかない。暗い土のなかで爆発しそうに大きく育った愛を、必死に押しこめるほかない。(p. 25)

激情のままに語られる、二人の強すぎる思いの応酬は、読んでいて痛いくらいで、くさいセリフだなあと、少し引いてしまうくらいで、だけど、慣れてくるにつれて胸にわだかまる、このもどかしさはなんだろう。手紙やメモ、メールのやり取りが、どうしようもなく、胸の奥をぐいと絞ってくる。

たぶん、もっと激しくて、瞳孔が縮んじゃってほかのことなんて目に入らなくなるぐらいの恋を、私がもうしてしまったのがいけない。(p. 166)

終わってしまった恋を抱えて、僕らはどう生きていけばいいんだろう、

とてもとても大切なひとがいたの。私はそのひとから、たくさんのことを教えてもらった。いろんな感情、考え、私の振る舞いやちょっとした口調まで、すべてそのひとに与えられたものなんじゃないかと、いまでもふと思うぐらい。(p. 371)

泣きたいくらい、誰かのことを思っていたのは、いつのことだったろう、

私はあなたを受け入れます。あなたがどんな姿をしていようとも。(p 357)

長い長い人生、一番近くに寄り添って、何でも打ち明けられる誰かが、僕にはいるだろうか。

そんな読み手の思いを巻き込んで、物語のスケールが壮大になっていく終盤にかけて、どんな音にも邪魔されたくなくて、ベッドの上でイヤホンをしながら読み進めました。

苦しくて甘い恋の記憶があるひとも、そうでないひとも、だれかを思い、だれかに思われることの尊さを、きっと思い出すことになる。そう胸を張って人に勧められる本。今年最高の本の一つに加わりました。