つきよみ。

月に一度読書記録を書きます。

夢は、抱いていよう - 9月の読書記録

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少なめですが、遅ればせながら9月の読書記録を。

 

 

①【何が何でも叶えたい夢はありますか。】『ひとりずもう』さくらももこ 集英社文庫

☆☆☆☆

ひとりずもう (集英社文庫)

ひとりずもう (集英社文庫)

 

さくらももこさんのエッセイ。文学Youtuberベルさんの動画から。

 

さくらももこさんのエッセイと言えば、小中学生のころ、漫画を読むような気楽さで、読み漁った記憶があります。むしろ漫画より先に、エッセイを読んでいたのでは、と思うくらい。

 

本作は、性の問題に悩み、初恋をし、将来への一歩を踏み出そうとする青春時代の話。

 

私のとって、男子はゴリラかオランウータンだった。(p. 31)

そんな一言に男子の立場ながらうなずいてしまったり、

せめて信号機ぐらいに、彼の注意をひく存在になりたい。(p. 101)

はじめて一目惚れをした少女の感情の吐露に、切実なはずが少し笑わせられたり。

そういう小さなエピソード一つ一つも魅力的なのだが、なんといっても後半の、夢に向かっていく彼女の葛藤と決断が必読。 

近所の文房具屋が、将来への第一歩だ。(p. 172)

私は、漫画家になりたい。小さい頃からそう思っていたのだ。絵も好きだし、文章も好きだ。それ以外のことは全部苦手だ。そんな事、最初っからわかっていたのに、私は何を迷っていたんだろう。(p. 198)

紆余曲折あって、一度は諦めかけた漫画家の夢をもう一度持ち直すところなんて、彼女がどれだけ素晴らしい漫画を描く人であったかを知っているだけに、つい涙ぐんでしまった。力強い、生きるうえで支えになるような言葉を、たくさんもらった。

他の人の人生じゃない、私の人生なんだ、と誰かに何か言われるたびに強く思った。(p. 207)

極めつきはあとがき。さくらももこさんはそこで、夢論というか、青春論というか、人生論というか、夢や人生にどう向き合っていけばよいのかということを、優しい言葉で語っている。そこには、すうっと目の前が開けたような明るさと、すとんと何かが腑に落ちたような重みがある
夢は、抱いていよう、と思った。無理だと思っても、どんなきっかけで、どんな形で、その夢が人生を輝かせるか、その時になるまで、それこそ「死ぬ寸前になるまでわからない」のだから。

 

 

②【あなたの周りにテルちゃんはいますか。】『愛がなんだ』角田光代 角川文庫

 ☆☆☆☆☆

愛がなんだ (角川文庫)

愛がなんだ (角川文庫)

 

今年映画化された話題作。

 

どうしてだろう。私は未だに田中守の恋人ではない──。好きすぎるけど、恋人にはなれない。だけどどこまでも彼に尽くしてしまう、「都合のいい女」、私の全力の恋。

 

映画を観たときから思っていること、僕の心をつかんで離さない一つのことは、どうして好きな人を前にすると、誰も彼もこんなに無力なんだろう、ということ。誰かを好きになったり、誰かに好きになられたりする、そういうことの前では、ここに出てくる人たちはみんな弱い。だから観ていて(読んでいて)誰一人、嫌いになれない。

 

顔が好みだの性格がやさしいだの何かに秀でているだの、もしくはもっとかんたんに気が合うでもいい、プラスの部分を好ましいと思いだれかを好きになったのならば、嫌いになるのなんかかんたんだ。プラスがひとつでもマイナスに転じればいいのだから。そうじゃなく、マイナスであることそのものを、かっこよくないことを、自分勝手で子どもじみていて、かっこよくありたいと切望しそのようにふるまって、神経こまやかなふりをしてて、でも鈍感で無神経さ丸出しである、そういう全部を好きだと思ってしまったら、嫌いになるということなんて、たぶん永遠にない。(p. 150)

そうやって何もかも好きになってしまうテルちゃんも、 

もうほんと、今日はなんでかほかにだれもいねえよってときに、あっ、ナカハラがいんじゃんって、思い出してもらえるようになりたいんす。(p. 95)

でも、思ったんすよ。純粋に人を好きでいるってどういうことなのかって。(p. 200)

相手に尽くす自分であることに悩むナカハラくんも、弱さむき出し、そんなに相手本位になってしまっていいの、と読みながら思ってしまうのだけれど、それでいてそんな彼らの恋愛模様がうらやましくもあるから、悔しい。

最後の最後、テルちゃんの下す決断で、安易に弱いなんて言っていた自分が恥ずかしくもなる。本当に強いのは実はテルちゃんで、これを読んで悔しがっている人はみんな、振り切った恋愛をできずに中途半端なことばかりしている、のかもしれない。

 

 

③【特別であることの孤独を知っていますか。】『七瀬ふたたび』筒井康隆 新潮文庫

 ☆☆☆☆

七瀬ふたたび (新潮文庫)

七瀬ふたたび (新潮文庫)

 

七瀬シリーズ三部作の2作目。

 

この子は今、わたしの心を読んだ。(p. 20)

テレパスが、もう一人のテレパスを見つけてしまう「邂逅」から始まるこの連作短編集には、能力者の孤独と、その孤独を埋めてくれるかもしれない仲間たちとの出会い、そして別れが描かれています。畳み掛けるような意識の描写が相変わらずすごい。特に今回は、自分がテレパスであることがばれないようにしたり、他のテレパスに自分の意識を読ませないようにしたりするために、発話と意識の絡み合いが一層複雑かつ面白くなっています。

 

超能力者は何のために生れてきたのか。(p. 223)

迫害されていくなかで、七瀬が自らに問うこの言葉が読んでいて苦しかった。なぜって、人生において、ネガティブな意味でこの「なんのために生まれて」という問いを立ててしまうことほど苦しいことはないから

神様。なぜ超能力者をこの世に遣わされたのですか。人類を試すためだったのでしょうか。それなら、もしそうだとしたら神様、人類はまだまだです。(p. 235)

最後の「七瀬 森を走る」は、潔く閉じられたエンディング。しかし上に引いた諦めの言葉が、七瀬が神になってしまう(らしい)次作に繋がるのだと思うと、どんな形にせよ物語が続いていくことが嬉しい。

 

 

 

④【旅に出たいと思いませんか。】『オン・ザ・ロードジャック・ケルアック 青山南訳 河出文庫

☆☆☆☆ 

オン・ザ・ロード (河出文庫)

オン・ザ・ロード (河出文庫)

 

ボブ・ディランにも影響を与えた、あまりにも有名な作品。 

 

ぼくにとってかけがえのない人間とは、なによりも狂ったやつら、狂ったように生き、狂ったようにしゃべり、狂ったように救われたがっている、なんでも欲しがるやつら、あくびはぜったいしない、ありふれたことは言わない、燃えて燃えて燃えて、あざやかな黄色の乱玉の花火のごとく、爆発するとクモのように星々のあいだに広がり、真ん中でポッと青く光って、みんなに「ああ!」と溜め息をつかせる、そんなやつらなのだ。(p. 17)

隣にいるだけで興奮が伝染してしまいそうなほど、興奮しきった男。その風に身を任せてしまいたくなるような、新しい風を吹かせる、嵐のみなもと。知識人ぶった連中のなかでひとり、己の欲望のおもむくままに人生を駆ける、そういう存在に惚れ込んで、その隣にいたいと思う、グレイト・ギャツビー然とした物語。

 

最終的なものなんか手に入らないよ、カーロ。最終的なものに辿り着くやつなんかいない。みんなそれを手に入れたいと思って、生きてるだけさ。(p. 79)

路上で友に会い、酒を飲み、たまに働き、愛する人を見つけて、落ち着いたかと思えば、また路上。主人公の居場所はアメリカのいたるところを動き回るけれど、物語は前にも後ろにも、たいして進まないような気がする。ただ、文章が留まるところを知らないというか、次から次へと進んでいく。とにかく車を飛ばし、酒を飲み、叫び、歌い、女の子と遊び、語り合い、また車を走らせる。そういうなんやかんやを、飲むように、読んだ。

オン・ザ・ロード』はストーリーのない小説である。どこから読んでもかまわない、どこを読んでもかまわない、さながら長詩のようである。(p. 524)

解説で訳者が書いていたけど、たぶんその通りなんだろう。こういう青春を送りたかったというと、あまりにもぶっ飛んでいるかもしれないが、ナウオアネヴァーの、興奮し切った人生の瞬間を、感じられたのはいつのことかと振り返ってしまう。まだ遅くはない、だろうか。

 

 

⑤【大人になることは正しいことですか。】『小説 天気の子』新海誠 角川文庫

 ☆☆☆☆

小説 天気の子 (角川文庫)

小説 天気の子 (角川文庫)

 

君の名は。』から3年。新海誠、最新作の原作小説。

 

ねえ、今から晴れるよ。(p. 76)

映画『天気の子』を観たとき、その映像美にただただ感動して、帆高と陽菜が空の向こう側から戻る時の、あの映像と音楽の一体感に心を奪われたのを覚えている。あの時の感覚を思い出したくて、記憶をたどるようにして、読んだ。

 

──もう大人になれよ、少年。(p. 177)

これは、大人になりきれない少年の話だ。いやむしろ、いわゆる分かりきった大人になってしまうことを拒み続ける少年の話だ。だから意見が分かれる。少年の振る舞いが気にくわない、となじる声が聞こえる。だけど、だけど、大人になることが、必ずしも正しいことなんだろうか?

物語は問いかける。

人間歳をとるとさあ
大事なものの順番を入れ替えられなくなるんだよな (p. 186)

圭ちゃんは、かつて帆高のように社会に刃向った、だけどそれをとっくに思い出にしてしまった、そういう大人の一人なんだと思う。

誰かがなにかの犠牲になって、それで回っていくのが社会ってもんだ。(p. 189)

だからこんな風に大人ぶったことをいう。自分はもう大人の側なんだとうそぶいてみせたりする。

世の中の全てのものが自分のために用意されていると信じ、自分が笑う時は世界も一緒になって笑っていると疑わず、自分が泣く時には世界が自分だけを苦しめていると思っている。なんて幸福な時代なのだろう。俺はいつ、その時代をなくしたのだろう。(p. 220)

だけど、世界を全てその肩に乗せてしまうような帆高や陽菜にかつての自分を見て、それが終盤の行動につながっているんだろう。

帆高は、圭ちゃんとは違う。もろくて、気持ちだけは強い、一人の高校生だ。彼は社会に文字通り銃を向ける。社会の犠牲になるのではなく、社会を犠牲にすることも厭わない。映画にちらりと出てきた、キャッチャー・イン・ザ・ライの主人公、ホールデンは、社会に不満をぶつけながらニューヨークの街を歩くけど、彼は口先ばかりで、大した行動を伴わなかった。そこがあの作品の良さでもあるのだけれど。帆高は違う。東京の街を歩き、世界の形を変えてしまうような、とてつもなく大きな、社会への反抗をしてみせる。それをこの作品が手放しに肯定しているとは思わない。肯定寄りであっても、議論の余地を残している。それでも、彼の行動を否定するであろう真っ当な大人たちを、引き止め、大人の当たり前を揺るがすだけの力は持っている。社会が自分や愛する誰かよりも大事なんてことがあるかい、と、揺さぶりをかけてくる。危なっかしい物語だ。似通っている、キャッチャーよりもよっぽど。

 

 

 

⑥【古都の黒い神秘を覗いてみませんか。】『きつねのはなし』森見登美彦 新潮文庫

 ☆☆☆☆ 

きつねのはなし (新潮文庫)

きつねのはなし (新潮文庫)

 

おなじみの京都が舞台、だけど今回は黒い神秘でいっぱいの、短編集。

 

「狐の面だよ」

彼は言った。(p. 36)

表題作「きつねのはなし」は、不気味すぎる話。互いの大切なものをやり取りする、取引は、いつしか取り返しのつかないところまで行ってしまって。狐の面ひとつで、こんなに寒気がするなんて。

辿り着いたのは急な勾配の坂の上にある、立派な門構えの古い屋敷であった。(p. 104)

続く「果実の中の籠」は、かなりお気に入り。著者のほかの作品でも出てきそうな、物知りな「先輩」の問わず語りは、他の短編ともリンクしていて。壊れていく。現実と虚構の境界が。真実と作り話の境目が。

そのケモノは、まだ町をうろついてるんですよ、先生。(p. 221)

話の構成、語りの効果が絶妙で人に薦めやすいのは、「魔」。狭い路地のどこかに今でもいそうなケモノの正体には、こうきましたか、と驚かされる。

たびたび聞こえる、あの水音のせいかもしれない、屋敷のどこかで暗い水が澱んでいる光景が思い浮かんだ。(p. 299)

そして「水神」。これが一番不気味なんじゃないかと思う。不気味なことが、イメージが、とにかく積み重ねられていく。残念ながらそれらがきれいにほどけていく快感はないけれど、結末に納得感はもちろんある。そして不穏なイメージが脳裏に残る。怖いものを一つ取り上げて、そのイメージをここまで膨らませる力には脱帽だ。狐の面、胴の長いケモノ、暗闇と、水の音。

 

 

思い、思われること - 8月の読書記録

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 2日遅れてしまいましたが、8月の読書記録を。

 

 

①【ほんとうに怖いものは何ですか。】『などらきの首』澤村伊智 角川ホラー文庫

 ☆☆☆☆☆ 

などらきの首 (角川ホラー文庫)

などらきの首 (角川ホラー文庫)

 

『ぼぎわんが、来る』『ずうのめ人形』に続く比嘉姉妹シリーズ短編集。

 

ホラーというよりミステリーの要素が強く感じられる短編集でした。

この貸事務所では、夜になると子供の声がするらしい。
そして声を聞いているうちに──自分まで痛みを感じるようになる。(p. 8)

「ゴカイノカイ」は、夜になると子供の声が聞こえる貸事務所の話。お馴染みの怪異、といった印象ですが、真相は意外なところからこぼれ出て、並みのホラーとは一味もふた味も違うのだと、読者を身構えさせてくれる「お通し」みたいな第一短篇。

そこから「学校は死の匂い」「居酒屋脳髄談義」「悲鳴」「ファインダーの向こうに」「などらきの首」とつづきますが、ずば抜けていたのは「学校は死の匂い」、痛快でおすすめなのが「居酒屋脳髄談義」でした。

 

学校は危険だ。家よりもずっと危ない。(p. 83)

「学校は死の匂い」は、雨の日の体育館で起こる怪異の謎を解くお話。真相があまりに切実で、泣きそうになっていたら、結末にすっかりやられてしまいました。最後まで目を離しちゃいけない。

 

女は子宮で考えるっていうだろ、な?(p. 106)

「居酒屋脳髄談義」は、ほかのどの話よりも会話の肌触りが悪く、たぶんその肌触りの悪さがわからないと痛快さもわからない。女性蔑視丸出しのセクハラ発言を繰り返す男たちと、鮮やかな切り返しを見せる一人の女。酒席の会話は、一見ホラーとは異なる緊張感を持って、進んでいく。そして徐々に、会話の中から、あるいは女の流暢の語りの中から、奇妙さが、恐ろしさが、にじみ出てくる。シリーズの重要人物が登場するラストには、痛快、と言い切りたくても言い切れない、ぞわりと背筋をなぞるものがありました

 

 

②【喧嘩の絶えない相手はいますか。】『シーソーモンスター』伊坂幸太郎 中央公論新社

 ☆☆☆☆ 

シーソーモンスター (単行本)

シーソーモンスター (単行本)

 

  8作家による「螺旋」プロジェクトの「昭和後期」「近未来」にあたる中編2作。

 

バブルに湧く日本を舞台に、嫁姑対立と米ソ冷戦を描く「シーソーモンスター」は『グラスホッパー』シリーズを髣髴とさせ、(今よりもさらに)監視社会となった未来を描く「スピンモンスター」には『ゴールデンスランバー』や『モダンタイムス』から続くテーマが垣間見えて。

 

みんな、うすうす、こんなのは長く続かない、いつか破綻するって分かっていたんだよ。だけど、もう少し長く続くと信じて、目を逸らしていたの。今の日本もそれと同じじゃないのかな。(p. 100)

「シーソーモンスター」は、嫁姑対立というテーマはありきたりなものの、次々と降りかかる災難と切り抜ける宮子のかっこよさで読ませてくる。一つの気づきは、伊坂さんらしい印象的な台詞が、時代背景という(現代という設定には存在しない)助けを借りると、一層強く響くということ。これを機会に、時代小説(過去の時代背景を借りて物語を展開するもの)なんかに進出してもいいのでは、と思ったり。

 

つづく「スピンモンスター」は、「シーソー」からの伏線も鮮やかに回収しつつ、テーマをより強く打ち出していました。支配者によって情報は操作され、世界は分断されて、対立のための対立が生み出されていく昨今。人工知能が情報と事実を作り出し、人間までも支配しようとする中で、人は何にすがり、何を信じて生きていけばいいのか。

ただ、人の感情までは完璧にコントロールできねえんだよ。(p. 425)

対立を受け入れるしかない諦めの中に、ちゃんと希望を持たせているエンディングが心地よかったです。

 

 

③【あなたはいつも「演じて」いますか。】『舞台』西加奈子 講談社文庫

 ☆☆☆☆☆ 

舞台 (講談社文庫)

舞台 (講談社文庫)

 

広島で手に入れた古本をやっと。

 

羞恥心の強さから、虚栄心を抑えつけ、自分を演じて生きてきた。太宰の『人間失格』に自分を見いだし、作家である父の存在を何より忌み嫌った。そんな葉太(29歳)の、初めてのニューヨーク。

 

そのときの葉太は、自分史上最も強大な恥の意識に、がんじがらめにされていた。(p. 79)

共感できる部分と、共感できずに葉太を標本のように見てしまう部分と。しかしこれは、怖い本です。自分が周囲の人の中でどれだけ自分を出し、どれだけキャラクターを演じ、演じ分け、人生を生きているのか、その境界線というか、輪郭のようなものが、葉太の言動に対する自分の率直な反応から、浮かび上がってきてしまう。

社会には、「ここまではセーフ」「ここからはアウト」というラインが、目に見えないが、厳然としてある。(p. 135)


これでいいの?
これで合ってる?(p. 140)

程度の差こそあれ、恥という気持ちは誰もが抱えています。そして多くの場合、恥じるという行為はとても孤独で独りよがりなもの。道を歩いているときにつまずくと、何事もなかったかのように歩き直しながら、誰かに見られていたかどうかを気にしてしまう。大きな集まりで周囲の人と違う服装をして目立ってしまうことをひどく恐れる。はじめての場所で振る舞い方がわからずに困っても、聞くと目立つのでこっそり周りを見て真似る。ほとんどの場合、自分のことなど周りの誰も気にしていないのに。まるで誰かにじっと観察されているかのように、僕らは恥じる。そして時には、恥じてしまうことそれ自体を、どうしようもなく恥ずかしがったりする。その少し極端な例が、葉太なのだと思います。(こうして「少し」極端と書くだけで、自分と葉太の距離感がばれてしまう。)

 

巻末に、著者の西加奈子さんとタレントの早川真理恵さんの対談があって、そこで西さんがこんな風にいいます。

よく言われている「そのままでいいんだよ」とはまた違う、「自分を作っててもええやん」ということを、書いていて強く思うようになったかな。(p. 201)

それから二人の話題は、誰かの前で演じることをもっと肯定していきたいな、という話になっていくのだけれど、このトークがとにかく優しい。人の振る舞いの向こうには必ず、表には現れていない思いとか苦しさがあるんだから、そこまで想像して受け止めてあげたいね、と。こんなふうにまとめてしまうと薄っぺらくなってしまうから、とにかくこの対談だけでも読んで欲しい人がたくさんいる。

それから芸能界、テレビの人のことも話題にのぼるけど、人前にあまり出ない人でさえ、自意識に苦しむのに、大勢の人の前で自分を晒す役割の人の苦しみはどれほどか、と想像してしまう。もちろん苦しみは比べられるものではないけれど、知り合いの顔が幾人か浮かんだ。

西加奈子の作品を読むと、物語の役割は、苦しんでいる誰かに答えを与えてあげる、というより、まず第一にその苦しみに寄り添って、「苦しいね」と受け止めてあげることなんだ、と痛感させられる。それは物語だけでなく、目の前で誰かが苦しんでいる時、まず第一にすべきこととも通じている気がする。よく言われることかもしれないけれど。

 

 

④【お別れはいつも悲しいですか。】『大家さんと僕 これから』矢部太郎 新潮社

 ☆☆☆☆

大家さんと僕 これから

大家さんと僕 これから

 

 ベストセラー漫画『大家さんと僕』の続編にして、完結編。 

 

大家さんと僕が出会う前も、僕はしあわせでした。でも大家さんと出会って、僕はしあわせになりました。

この物語が終わってしまうことは悲しいことなのだと、身構えて読み始めました。だけどきっと、そんな単純なことではなかった。

えんぴつが 元気な人にしか
使えない道具だなんて
僕は知りません でした (p. 97)

ほっこりする笑いに包まれた日常の中に、しかし確実に影は迫りつつあって、それを受け入れたくない矢部さんがいて。 

急いだ登りでは 見えなかった景色を
違う角度から ゆっくり見てるんや (p. 152)

お笑いはオチが大切だけど、この漫画短編集の最後のコマにはみな、何とも言いようのない余韻があって。特に最後から三つ目の、「大家さんのお話」。このラストの余韻は、小説では、きっと描けない、漫画であってこその、あるいは、矢部さんの作品であってこそのもの

 

 

⑤【愛せなかった人を、どう悼みますか。】『永い言い訳西川美和 文春文庫

 ☆☆☆☆☆ 

永い言い訳 (文春文庫)

永い言い訳 (文春文庫)

 

 友人の薦めで。著者が監督として映画化もした話題作。直木賞候補作、山本周五郎賞候補作、本屋大賞ノミネート。

 

妻が死んだ。作家・衣笠幸夫は、同じ事故で亡くなった妻の友人の一家と出会い、母を失った子供たちの世話役を買って出る。

信じられる? たった一人の奥さんが、年に一度きりの旅行でさ、どこへ行ったか、何しに行ったか、先生は、これっぽっちも知らないんだよ。ばかだよほんと。(p. 49)

様々な視点で語られる、幸夫と、妻の友人の一家の物語なのですが、 視点の選択がどれも絶妙で、いちいち唸らされました。母を亡くした子供たち、その兄の健気さと、妹のあどけなさ。幸夫の浮気相手の葛藤。幸夫を描く語り手の、どこか冷めた視点も。

子供が子供で居られるときっていうのは、今のこの一瞬しかないんだよ。(p. 255)

子どもたちと交流から、しだいにひとを思う心を得ていく幸夫。彼が見せるこの変化を、都合がいいとか、亡くなった奥さんのことはどうしたとか、結局何もわかっていないと、非難するのは簡単です。けれど、いままで人を愛することを忘れていた人間が、愛しやすい誰かを愛しているという自分像の中に逃げ込んだとして、その身勝手さを、責める権利が誰にあるだろう?

自分を大事に思ってくれる人を、簡単に手放しちゃいけない。(p. 312)

作家であるだけに、口が上手いのかも、しれない。自分を棚に上げているのかも、しれない。都合のいい饒舌なのかも、しれない。だけど、彼の言葉は胸を打ったし、終盤、愛する人のために、つんのめりながら走る彼の姿には、涙がこぼれました。

ひどすぎる。あまりにひどい。どうしてぼくらは、大事なものを傷つける? 見えてるサインを見殺しにして、摑みかけた手も、放してしまう。チャンスを常に台無しにする。どうしてこんな風に何度も踏み外して、何もかもを駄目にするの。嫌になるよ。(p. 287)

永い、言い訳。誰かを失って初めて、見えてくる愛の形があり、言葉にできる言い訳がある。喪ったひとを悼む、というのは、だれかと離れて悲しくて涙を流す、ことで終わりではなく。その人がいない、その人抜きの関係性の中に自分の居場所を見つけ直して、その状態でもう一度、かつてあったその人との関係性を振り返ったときの、あらためて訪れる別離の感。とでもいうようなものなのかもしれません。

そして初めに触れた、視点あるいは描き方の自由自在な変化は、読者に特定の見方を押し付けない。いいお話を書きました、さあ泣いてください、ではなく、いいお話に見える作品を書きました。泣ける話にも、冷める話にも読めます。そもそもいいお話ですか? さあ、自分で考えてください。と、どちらかと言えばこちら。

いい作品でした。 

 

 

⑥【昨日、夢で逢いましたか。】『クジラアタマの王様』伊坂幸太郎 NHK出版

 ☆☆☆☆ 

クジラアタマの王様

クジラアタマの王様

 

伊坂幸太郎さん長編最新作(書き下ろし)。川口澄子さんのコミックが小説の合間合間に挟み込まれ、物語の一部になっている。

 

夢の中での、モンスターハンターじみた戦いと、現実世界の災難がリンクする。僕らは何のために戦っているのか。

 

どうしてそんな風に、僕たちを叩き潰すような言い方ができるのか。(p. 61)

クレーム処理、異物混入、謝罪会見、上司のパワハラ、マスコミの過剰報道、世間の「正義」を笠に着た社会的制裁。そしてパンデミック。現代のテーマが満載でした。登場人物の中で応援したくなったのは、主人公はもちろんのこと、脇役ながら存在感のある、栩木係長。主人公ではないものの、栩木係長、頑張れ、とつい思ってしまうのは、彼女もまた、理不尽なものと戦っているから。

川口さんの挿画もいい味を出していて、これまでにないムードを伊坂作品に与えています。(これは引用のしようがないのが残念。)

読み終えた後、そういえば最近よく見るあの夢は現実とつながっているのかな、とか、久しくハシビロコウにお目にかかっていないなあ、とか、そんなことを思いました。

 

 

⑦【見えない戦争に気づいていますか。】『となり町戦争』三崎亜記 集英社文庫

 ☆☆☆☆ 

となり町戦争 (集英社文庫)

となり町戦争 (集英社文庫)

 

先輩の薦めで。

 

となり町との戦争が始まった。しかしその戦争の影を、「僕」は一向に見つけることが出来ない。増えていく戦死者の数。となり町での偵察、そのための同棲生活。「僕」は戦争を見つけることが出来るのか。

 

この複雑化した社会の中で、戦争は、絶対悪としてでもなく、美化された形でもない、まったく違う形を持ち出したのではないか。実際の戦争は、予想しえないさまざまな形で僕たちを巻き込み、取り込んでいくのではないか。その時僕たちは、はたして戦争にNOと言えるであろうか。自信がない。僕には自信がない。(p. 92)

見えない戦争に否応なく巻き込まれていく主人公の姿に、つい今の時代の自分たちを重ねてしまうのは、きっと僕だけではないと思います。実感の湧かない出来事が、それでも確実に自分たちを巻き込んで起きているということに、僕らのうちの何人が意識的なのか。何人が「僕」のように、見えない何かを「感じ」ようとしているだろうか。どうやら、隣の国との外交がはちゃめちゃらしい。どうやら、言論は封殺されつつあるらしい。どうやら、分断は広がっているらしい。どうやら、貧困はいたるところにあるらしい。どうやら、どうやら、どうやら。この時代は、あるいはいつの時代も、感じようと努めなければ、見えない「どうやら」ばかりだ。

あなたはこの戦争の姿が見えないと言っていましたね。もちろん見えないものを見ることはできません。しかし、感じることはできます。どうぞ、戦争の音を、光を、気配を、感じ取ってください。(p. 122)

主人公は「香西さん」というこれまた透明感のある雰囲気を持った女性との触れ合いを通じて、戦争の輪郭、影のようなものを感じ取っていくのですが、考えさせられたのは、自分の気づかぬところで払われている、けれどどこかで自分とつながっている犠牲に、僕らはどこまで目を凝らし、耳を澄ませることができるのか、ということ。あるいは、どこまでそう「すべき」なのか。ふだん意識を傾けていないものへの意識を、淡々とした語りで喚起する、そんな物語でした。

 

 

⑧【ほんとうに大切な、だれかはいますか。】『ののはな通信』三浦しをん 角川書店

☆☆☆☆☆ 

ののはな通信

ののはな通信

 

第25回島清恋愛文学賞、および第7回河合隼雄物語賞受賞作。

 

この作品をどうしても記録に加えたくて、いつもより更新を遅らせてしまいました。

 

野々原茜と牧田はな。お嬢様学校に通う二人は、互いに心を打ち明けあい、いつしかののは、はなに友情を超えた気持ちを抱く。少女から大人へと続く、30年近くにわたる心の交流。

 

野の花がカバーから見返しまでたっぷりと描かれた装丁が可愛らしく、カバーを外すと書簡体小説にふさわしい仕掛けも施されていて。

 

本当の愛や好意は、もっとひそやかで深いものでしょう。心を打ち明けたいけれど、ためらってしまう。自分の思いが相手を驚かせ、戸惑わせ、傷つけてしまう可能性があればあるほど、愛は心の奥深くに埋めるほかない。暗い土のなかで爆発しそうに大きく育った愛を、必死に押しこめるほかない。(p. 25)

激情のままに語られる、二人の強すぎる思いの応酬は、読んでいて痛いくらいで、くさいセリフだなあと、少し引いてしまうくらいで、だけど、慣れてくるにつれて胸にわだかまる、このもどかしさはなんだろう。手紙やメモ、メールのやり取りが、どうしようもなく、胸の奥をぐいと絞ってくる。

たぶん、もっと激しくて、瞳孔が縮んじゃってほかのことなんて目に入らなくなるぐらいの恋を、私がもうしてしまったのがいけない。(p. 166)

終わってしまった恋を抱えて、僕らはどう生きていけばいいんだろう、

とてもとても大切なひとがいたの。私はそのひとから、たくさんのことを教えてもらった。いろんな感情、考え、私の振る舞いやちょっとした口調まで、すべてそのひとに与えられたものなんじゃないかと、いまでもふと思うぐらい。(p. 371)

泣きたいくらい、誰かのことを思っていたのは、いつのことだったろう、

私はあなたを受け入れます。あなたがどんな姿をしていようとも。(p 357)

長い長い人生、一番近くに寄り添って、何でも打ち明けられる誰かが、僕にはいるだろうか。

そんな読み手の思いを巻き込んで、物語のスケールが壮大になっていく終盤にかけて、どんな音にも邪魔されたくなくて、ベッドの上でイヤホンをしながら読み進めました。

苦しくて甘い恋の記憶があるひとも、そうでないひとも、だれかを思い、だれかに思われることの尊さを、きっと思い出すことになる。そう胸を張って人に勧められる本。今年最高の本の一つに加わりました。

 

人生を生きよう - 7月の読書記録

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 【どんな本を、読んできましたか。】こわい本も、やさしい本も。

 

 

①【帰らぬ人に、会いたいですか。】『三鬼 三島屋変調百物語四之続』宮部みゆき 角川文庫

 ☆☆☆☆☆ 

三鬼 三島屋変調百物語四之続 (角川文庫)

三鬼 三島屋変調百物語四之続 (角川文庫)

 

三島屋シリーズ第四作。

 

シリーズものを何作か読むと、心の一角にその物語専用の空間ができたようで、久しぶりに懐かしい場所に戻ってきたような感慨を覚えます。

このシリーズの、何が面白いって、怪しい物語を語る語り手がいて、聞き手であるおちかがいて、読み手の僕らがいて、僕らはおちかよりも一歩離れたところで語りに耳を傾けている、そのはずなのに、いつのまにか語り手の物語の中にいる。その、壁に掛けられた絵画を眺めていたら、いつの間にか絵画の風景の中に佇んでいるような、意識が世界の境界を越えていく感覚が、たまらなく心地よい。

 

今回は長めの物語が四つ。亡者とのかかわりを描く「迷いの旅籠」、弁当屋と神様の邂逅を描く「食客ひだる神」、人の罪とタブーをめぐる「三鬼」、香具屋の奇妙なしきたりをめぐる「おくらさま」。

 

胸をつかれたのは、こんな語り。

生きている者たちは、死者にはもう、この世で彼らと交じって暮らすことはできないと決めつけているのだ。その寂しさと、いくばくかの後ろめたさをやわらげるために、盆や彼岸の仕来りを設けて済ませている。(p. 127)

死んでしまった誰かに、もう一度会いたい。その一方で、生と死の境を破り使者と触れ合うことは、恐ろしいことだと思っている。どちらかだけに与することのできない相反する気持ちを、誰もが抱えている。その気持ちに、どう折り合いをつければいいのか。「迷いの旅籠」は、一つの答えを与えてくれます。

 

これが、寂しいってことでしょうか。(p. 338)

そして、「食客ひだる神」。『あんじゅう』(シリーズ2作目)の表題作でも感じたことですが、愛おしいあやかしを生み出す宮部さんの手腕はものすごい。あやかしにせよ何にせよ、人生においていつもすぐそばにあったもの、迷惑だろうが恩恵だろうが、自分に影響を与え続けたものには、他に代えがたい愛おしさがあるのです。

  

鬼は、人から真実を引き出す。(p. 486) 

ベストはやはり表題作、「三鬼」。日本にはたくさんのタブーがありますが、これもきっとその一つ。積み重ねられてきたタブーに覆い隠された真実は、読む者・聴く者の心をひっつかんで離さない。

 

「おくらさま」のラストには主人公のおちかが大きく成長し、次作への期待がまた膨らみます。

 

 

②【どうしても、手に入れたいものはありますか。】『夜市』恒川光太郎 角川ホラー文庫

 ☆☆☆☆ 

夜市 (角川ホラー文庫)

夜市 (角川ホラー文庫)

 

恒川光太郎さんデビュー作。第12回日本ホラー小説大賞。第134回直木賞候補作。

 

──今宵は夜市が開かれる。

夕闇の迫る空にそう告げたのは、学校蝙蝠だった。(p. 7)

冒頭から引き込まれる表題作の「夜市」は、何でも手に入る、神出鬼没の夜市を訪れた兄弟の物語。 

暗がりをしばらく歩くと、やがて前方に青白い光が見えてきた。木々がまばらになり、決して眩しくはない。仄かな青白い光に、闇が切り取られていった。(p. 14)

夜市という不可思議で幽玄な空間が、淡々と語るさっぱりとした文章の向こうに立ちあがってくる。僕ら自身が夜市を訪れ、登場人物の人生を生きたかのように感じられる。そして、「なにかがいつかどこかにあったのだ」というくらいの淡い余韻を残して、物語は向こうの世界へと戻っていく。

 

あわせて収録された「風の古道」も好きでした。全国の路地裏にある、もう一つの世界で繰り広げられる、生と死の、深遠な移り変わり。どちらの物語も、異世界に生きる者の人生を描いているのですが、その人生が切なくてやるせなく、それでいて絵のように美しい。

 

他にはない世界観を作り上げられる作り手は貴重です。

 

 

③【あなたを訪ねる、小鳥はいますか。】『ぼくの小鳥ちゃん』江國香織 新潮文庫

 ☆☆☆☆ 

ぼくの小鳥ちゃん

ぼくの小鳥ちゃん

 

路傍の石文学賞受賞作。荒井良二さんの挿絵。素敵な挿絵です。

 

いやんなっちゃう。中途半端な窓のあけ方。(p. 8)

そんな言葉とともに、いきなり僕の部屋にやってきた小鳥ちゃん。ちょっぴり不安でおぼつかなくて、だけどあたたかでかけがえのない、そんな関係を肯定してくれる物語

 

その小さな寝息にあわせ、小鳥ちゃんの小さくてあたたかなからだはごくかすかに上下して、そのたびに掛け布団がわずかながらもちあがる。ぼくはそれをみているのが好きだ。(p. 48)

「好き」のある物語、というのがいいのかもしれません。それも、理屈っぽくない、「好き」。おみやげ、ラム酒のかかったアイスクリーム、ガールフレンドのバスケット、モーツァルト、終わりのないしりとり、古いハリウッド映画、洗濯機のうねり。

 

あたしの好きなたべものはそういうのじゃないもの (p. 31)

マイペースで欲しがりで、言いたい放題でかまってちゃんの小鳥ちゃんが、「ぼく」を、あるいは本の外にいるたくさんの「僕」らを引きつけてしまうのは、なぜなんだろう、と思います。小鳥ちゃんが気を引くのが上手、というのもあるかもしれないけれど、きっと。小鳥ちゃんの淋しさ、翳りのある小さな背中が、どうしようもなく心のどこかに引っかかってしまうのだ。どこへでも行ける、だけどどこにもたどり着けないような、危うさ。居場所が「ぼく」のところだけではないふりをしながら、かといって「ぼく」よりも有利な立場に立てるわけでもないおぼつかなさ。もっと身近な話にするなら、「ぼくの小鳥ちゃん」にはなれても、「ぼくのガールフレンド」にはなれない、ガラス一枚の、近いのに越えられない隔たり。この小鳥ちゃんの気持ちを知っている人は、実はたくさんいるんじゃないだろうか。

 

 

④【自分の人生を、生きていますか。】『水曜の朝、午前三時』蓮見圭一 新潮社

 ☆☆☆☆ 

水曜の朝、午前三時

水曜の朝、午前三時

 

父の書斎から。

 

「僕」があこがれ、愛してやまない、四条直美が遺した四巻のテープ。

 

大切な言葉が、たくさん詰め込まれた物語でした。一人の女性が、娘に遺した自分の人生、すべて。

 

私はこれまでに何千冊もの本を読んできたけれど、それ以上に日々の暮らしから学ぶことの方がずっと多かった。(p. 12)

結局のところ、人は誰でも小さな世界に生きているのです。そこがよき世界であれば幸いですが、そうでなければどうすればいいのでしょう? そして、もしそこが個人の努力や決断だけでは抜け出すことのできない場所であったとしたら?(p. 46)

後悔することを恐れて口を閉ざしている人は、私の知る限り、不幸に見舞われることもない代わりに幸運に出会うこともほとんどなかったように思います。(p. 194)

伝わってくるのは、彼女の人生の力強さ。これを誰かは、身勝手でわがままな女の昔語り、と切って捨てるかもしれないけれど、僕は。これは彼女が人生にぶつかって生きてきた記録なのだと思いました。幸せとか不幸せとか、そんな使い古された陳腐な言葉ではくくれない、彼女にしか生きられない人生だったのだ、と。後悔がないわけじゃない、きっと別の人生もあった。だけどこれが私の人生──。そう伝えている彼女の人生を、誰が否定できるだろう。10年後、20年後、あるいは、終わりを迎えるその時、僕はどんな言葉で人生を振り返るだろうか。僕は僕の人生から、誰かに何かを伝えられるだろうか。

曖昧なネタバレを恐れずに言うなら、この物語はハッピーエンドではないと思います。ただ、読み終えた人にこう思わせる終わり方ではある。


本を閉じて。
人生を生きよう、と。

 

 

⑤【守りたいものは、ありますか。】『いなくなれ、群青』『その白さえ嘘だとしても』『汚れた赤を恋と呼ぶんだ』河野裕 新潮文庫

 ☆☆☆☆☆ 

いなくなれ、群青 (新潮文庫nex)

いなくなれ、群青 (新潮文庫nex)

 

 

その白さえ嘘だとしても (新潮文庫nex)

その白さえ嘘だとしても (新潮文庫nex)

 

 

汚れた赤を恋と呼ぶんだ (新潮文庫nex)

汚れた赤を恋と呼ぶんだ (新潮文庫nex)

 

今年第6作で完結した、人気シリーズ。その前半3作。

 

その世界に漂う空気感、その文体にある肌触り、それがどうしようもなく好きな小説というものがあって、このシリーズがまさに。

 

捨てられた人々の島、階段島で平和な日々を送るぼくのもとに、もっとも会いたくない彼女が現れた。彼女の名前は、真辺由宇。

「この物語はどうしようもなく、彼女に出会った時から始まる。」

 

二人の関係を表す言葉を、僕はまだ知らない。(p. 64)

真辺由宇と、僕の関係性の揺らぎ・移り変わりが、物語の中心にあるのだけれど、この二人がとにかくいい。脇目も振らず、理想へとひた走る真辺由宇。諦めて受け入れることの安らぎを説く僕。理想を求めることの尊さも残酷さも、諦めることの歯がゆさも安らぎも、どれも痛いほどわかってしまうから。だから、二人の相容れなさは読者の「心を穿つ」のだと思う。

 

好きな一節を、いくつか。まずは、『いなくなれ、群青』から。

ねえ、真辺。人は幸せを求める権利を持っているのと同じように、不幸を受け入れる権利だって持っているんだよ。(p. 216)

遠く離れていても、信じられないくらいに明るい星が、僕たちの頭の上にはあるんだよ。それがなんだか嬉しいんだ。(p. 222)

いいかい、真辺。
女子高生はなんとなく全力疾走するべきじゃない。(p. 267)

間違うしかなくて、間違い方しか選べないような問題が、僕たちの周りには溢れている。(p. 288)

 つづいて、『この白さえ嘘だとしても』。

振り払われるとわかっていても、頰をひっぱたかれるとわかっていても、それでも誰かを抱きしめるべき場面というのが、きっとこの世界にはあるのだろう。(p. 97)

オレたちは主人公なんだから、そんな日もあるよ。(p. 130)

 『汚れた赤を恋と呼ぶんだ』。

だから、君の事情がわかるとは言えない。どれだけ話をきいても、きっと色々な誤解があるんだと思う。でもこれだけは約束できる。僕は君の事情を誤解しているんだということを、決して忘れないよ。(p. 232)

これが真辺由宇の声だ。力強くて、切実で、鋭利で、脆い。ほかの誰より綺麗な、否定する理想主義者の声だ。(p. 276)

 

心を描いた小説、といえば、僕は村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を思い浮かべます。そこには人の心のなかの風景が描かれていて、主人公は心を探し続けている。このシリーズにもそれに通じるところがあると思う。ここには心のなかの風景に似た世界があって、主人公は自分や他者に向けた言葉や行動を通じて、心と対話し続けている。程度の差はあれ、物語とはそういうものだけれど、このシリーズではそれが他よりもずっと直截的だ。心との対話。自分自身の声に、じっと耳を傾ける、身近でいて神聖な営み。

 

残り3作も、できる限り早めに読めますように。

 

 

⑥【心の隙間に、気づいていますか。】『ぼぎわんが、来る』澤村伊智 角川ホラー文庫

 ☆☆☆☆☆ 

ぼぎわんが、来る (角川ホラー文庫)

ぼぎわんが、来る (角川ホラー文庫)

 

澤村伊智さんデビュー作。第22回日本ホラー小説大賞

 

正直言って、ホラーと名のつくものは、小説でも映画でもあまり触れてこなかったような気がします。これを読んで気づかされたのが、「食わず嫌いをしていた」という事実。

こんなことだろうと思っていました。(p. 123)

第1章を読み終えて、 構成の巧みさに唖然としました。鮮やかな伏線の回収。そして、化け物の古めかしい新しさ。化け物が標的に接近する方法も、標的が化け物を読んでしまう理由も、今の時代だからこそ、生々しく映る。

前章で描かれたことを裏返していくような第2章。さらにそのまた別の面を見せてくれる第3章。ミステリーとしての完成度の高さ。

化け物が恐ろしさを発揮する迫真の場面は、他と異なる文体で。ひやっとさせる小道具を極限までちりばめた後の、突然飛び込んでくる描写に、身がすくむ。化け物の姿に、そして大切なものを失った人間の叫びに、戦慄する。

 

ネタバレをしたくないがために、かなり曖昧に書きましたが、読まれた方にはうなずけるところがあるかと思います。人間の醜さを抉り出し、恐怖に変えている小説は、こんなに「怖い」のだ、と気づけたことは大きな発見です。

そしてラストシーン。恐怖は最後まで消えない。

 

 

⑦【あなたの心にある、物語はなんですか。】『人質の朗読会小川洋子 中公文庫

 ☆☆☆☆ 

人質の朗読会 (中公文庫)

人質の朗読会 (中公文庫)

 

 家の本棚で発掘。

 

すでにこの世にいない誰かの声をテープで聞く、という点では、『水曜の朝、午前三時』と同じ。だけどこちらは、語り手もばらばら、内容もばらばら。同じなのは、名前も知られていない地球の裏側の村で人質になり、解放のめどが立っていない、という状況だけ。

 

杖で誰かを助ける話、ビスケットを選ぶ話、談話室での会合の話、孤独なおじいさん、スープ作りの名人、やり投げをする青年、死んだ祖母に似ているといわれがちな女性、知り合いがくれた花束。語られるのは、日常のさりげない、ともすれば日々の中に埋もれていってしまいそうな、それでも今の今まで忘れることのできなかった、出会い、出来事。

 

なかでも「B談話室」がお気に入りでした。

ああ、そうか、彼が死ぬと一つの言語が死ぬのか、だからこれは言語の死に向けられた祈りなのだ、そうして皆洞窟に染み込んだ響きの名残りに耳を澄ませているのだ、と僕は思う。(p. 73)

短い物語の中に、誰かの人生が浮かび上がってきて、その人生に想いを馳せているうちに、最後の一文がくる。それから、その物語を語った人物のプロフィールを知る。それが人質のひとりであることを思い出す。もういない誰かであることにしゅんとする。

 

──ささいなことなのだけれども、ずっと胸の片隅に引っかかって消えない記憶というものがある。(p. 241)

そして佐藤隆太の解説がこれまたいい。小川さんのかつて書いた小説のあとがき。「どんなことがあってもこれだけは、物語として残しておきたいと願うような何かを誰でもひとつくらいは持っている」。僕の場合は。小さなころ、と言っても年齢はわからない、おそらくは7歳か8歳くらいの頃、コンビニでの出来事だ。それが何だったのかも覚えていない、とにかく商品棚に置かれたお菓子か何かをポケットに入れようとした、そんな記憶がある。いたずらのつもりだったのか、どうしても欲しかったのか、とにかく手が伸びていて、とにかく何かが手の中にあった。びくびくしていた覚えはないけれど、それが悪いことだという自覚はあったのだろう、ふいに知らない人の声がして、動きが止まった。振り向くと、見慣れないおじさんがそこにいた。怒っているわけでもなく、「戻しておきな」とか、なんとか、優しい言葉で僕に促した。僕は何かを棚に戻して、ごめんなさいもありがとうも言えずに、店をあとにした。とても曖昧な記憶だ。どこのコンビニだったのかさえ覚えていない。いや、コンビニがあった場所は見当がついているのだけれど、今その場所にコンビニはなく、かつてあったという確証もない。ただ、あのとき誰も僕に声をかけずに、その何かを持ち去ることができてしまっていたら、僕の人生はまるで違うものになっていた気がしている。

 

 

物語ることの意味 - 6月の読書記録

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【どんな本を、読んできましたか。】今月は少し趣向を変えて。

 

 

①【あなたは誰と、戦っていますか。】『サブマリン』伊坂幸太郎 講談社文庫

 ☆☆☆☆☆ 

サブマリン (講談社文庫)

サブマリン (講談社文庫)

 

 『チルドレン』(講談社文庫)の続編。

 

家裁調査官の「僕」こと武藤は、破天荒な先輩・陣内とまたもや仕事を共にする。

 

味方や仲間はもちろん、どんな敵に対しても、そいつの大事にしているものを踏みつけるような真似はするな。 (p. 126)

『チルドレン』では若々しかった陣内さんも、40代になって彼なりに老成したようで、だけどやっぱりその魅力は失われていません。前作以上に、ずっしり響く言葉を口にするようになった印象。

 

今作には、自動車による事故や自暴自棄になった人間による無差別な殺傷事件など、最近世間を騒がせたいくつかの事件にも通じる出来事が登場します。それがあまりにもタイムリーで。ここ最近、日本には悲しいニュースが流れすぎたことを、読みながら思い起こしました。暴走する車。暴走する人間。傷つけられる弱い人びと。

あ、ただな、前から気になっていたんだ。自暴自棄になって、こういう事件を起こす奴はどうして、子供だとか弱い奴らを狙うんだ? (p. 151)

 陣内さんの言葉は、僕らみんなの発したい言葉でもあり、僕らみんなが聞きたい言葉でもありました。

全力で何かやれよ。全力投球してきた球なら、バッターは全力で振ってくる。全力投球を馬鹿にしてくるやつがいたら、そいつが逃げてるだけだ。(p. 152)

 読み終えて、誰もが陣内さんの言葉を聞いてほしいと思います。人生にうんざりして、世界に対する鬱憤をため込んでいる誰かには、容易に届けられるものではないのかもしれないけれど、それでも。陣内さんは「そんなことを言った覚えはない」ととぼけるかもしれないし、胸を張って偉そうにするかもしれないけれど、それでも。

 

敵は相当、強えからな。一人で戦うのは厳しいんだよ。俺たちの、お前の相手にする敵は容赦ねえぞ。 (p. 211)

物語の中盤、陣内さんが少年に言う台詞です。伊坂ワールドの人びとは、いつも何か大きなもの、得体のしれない、「理不尽」の権化みたいなものと戦っているように思います。愛する人は容赦なく奪われる、大切なものは失われる、欲しいものは手に入らない、人生はうまくいかない。物語の中で僕ら読み手が溜飲を下げる、いくつかの出来事は、そうした何ものかに対する、気休め程度に小さな勝利に過ぎないのかもしれません。それでも希望の光はさすと、信じさせるだけの優しさは、どの物語にもちゃんと残されている。だからやっぱり読みたくなるし、読んでしまうのです。

 

 

②【生きてきた道を、信じられますか。】『てんのじ村』難波利三 文春文庫

 ☆☆☆

てんのじ村 (文春文庫)

てんのじ村 (文春文庫)

 

 中身の分からない古本を買う、という企画で買ってみました。1984年第91回直木賞受賞作。

 

昭和二十年、右も左もわからない終戦直後。大阪通天閣の下にある芸人長屋・てんのじ村で、芸人として名を立てようともがく、人情あふれる人々の物語。

 

読んでいてじんわり心地よい気持ちになるのは、物語にある明るさと温かさのせいでしょう。芸人たちの演じる舞台の、客席の、長屋の、銭湯の。芸人たちの暮らすその空間の明るさと温かさ。

 

助け合いながら戦後の荒波を乗り越えてきた芸人たちの輪を乱す一つのきっかけになるのは、今では当たり前になった「テレビ」の登場。テレビという新しいメディアの潮流に乗って有名になる者と、乗り遅れてひがむ者。

一つ上の世界へ飛び上がって、自分がそれまで立っていた場所を見下ろすと、ずいぶん汚ならしく映って仕方がない。顔でもそむけたくなってくる。そういうことかもしれなかった。 (p. 134)

 乗り遅れた側にいた主人公シゲルも、すこしずつ自分の生きてきた人生を肯定するようになっていきますが、この主人公、正直、読者が何もかも好きになれるような主人公ではない。潔いところもあり、辛抱強いところもあれば、嫉妬屋で、自己中心的に思われるところもあるのです。しかし、そんな人間臭い主人公だからこそ、齢84になった彼の感慨がより深く読者の心には響くのかも、と。

 

③【忍者の強さを、知っていますか。】『甲賀忍法帖山田風太郎 角川文庫

 ☆☆☆☆ 

甲賀忍法帖 (角川文庫)

甲賀忍法帖 (角川文庫)

 

 山田風太郎の代表作。友人の勧めで。

 

家康の命で甲賀と伊賀の忍者たちが相争う。選ばれたのは双方10人ずつの精鋭たち。芋虫男に蜘蛛男、鞠のお化けにカメレオン、百面相に吸血鬼、瞳の術に死の息吹。次から次へと繰り出される忍術、騙し合いに次ぐ騙し合い。

 

どれだけアイデアがあるんだと驚愕させられるのは、物語のメインともいえる忍術の多彩さ。なかでも最も切ない忍術、秘技の持ち主は「陽炎」ではないかと。

それなのに、じぶんが、恋するものを、恋する最高潮に殺すべき宿命を負った女であることを知ったときのおどろき! (p. 181)

 純真な恋もむき出しの肉欲も巻き込んで、物語は静かなラストシーンに向かって疾走していきます。

 

次に何が起こるのだろう、と予想して期待して裏切られながら読み進める楽しみがここまで詰め込まれた小説があるなんて。今更ながら、60年以上前に書かれた小説の、そして20年以上前に亡くなられた、多作にした傑作ぞろいの大作家の、ファンになりました。

 

 

④【死にたい理由は、ありますか。】『十二人の死にたい子どもたち』冲方丁 文春文庫

 ☆☆☆☆☆ 

十二人の死にたい子どもたち (文春文庫)

十二人の死にたい子どもたち (文春文庫)

 

 映画化で話題になった、冲方さんの現代ミステリー。

 

集団安楽死を求め、廃病院に集まった12人の少年少女が見つけたのは、ベッドに横たわる一人の少年だった。

 

いろんな表情を持った作品でした。子どもたちが部屋に集まるまでの、何が起きているのかつかめない不穏さ。かと思えば、流行りのリアル謎解きゲームにでも参加しているかのような知的好奇心をくすぐるやり取りが展開され、読者に状況の重々しさを忘れさせる。かと思えば、鮮やかに描き分けられる子供たちの内面に、見過ごせないゆがみやねじれが見出されたりする。

 

いい? 世の中には、そもそも生まれさせられたこと自体に、苦しんでいる人が大勢いるの。子どもは、生まれてくるかどうか自分では選べない。親を選ぶことなどできない。生まれて来ることさえなければ、苦しみを背負わずに済んだのに。 (p. 464)

 子どもたちの「生きづらさ」をめぐる議論に、終盤、読み手は翻弄されます。誰もがそれぞれの立場でそれぞれに違った「生きづらさ」を持って生きていることを思い出して、それでもやはり、ここに集まる子供たちの抱える「生きづらさ」は深刻で。

いじめなんて、その歪みの最もたるものだわ。大人たちが本気で解決しようと思えば、幾らでも手段があるのに、そうしようとはしない。いつだって彼らは、生まれてしまった者たちを持て余しているのよ。生まれた者同士を争わせ、傷つけ合わせて、自分たちはただ傍観している。 (p. 467)

一人の少女の憤りは、いささか一方的にも聞こえますが、目を背けてはいけない大切なことを僕らに突きつけている気がします。いじめられる側だけでなく、いじめる側もまた、否応なく社会という大きなものの被害者であるという残酷さ。生まれたときから、周囲が自分の人生を規定してしまう理不尽さ。

 

ラストシーンまで目が離せない社会派ミステリーでした。

 

 

⑤【あなたの町に、不思議な物語はありますか。】『草祭』恒川光太郎 新潮文庫

 ☆☆☆☆☆ 

草祭 (新潮文庫)

草祭 (新潮文庫)

 

 はじめての恒川光太郎作品。友人の勧めで。

 

向こうに見えるのは、この世界の一つ奥にある美しい町。 (p. 325)

「この世界の一つ奥にある美しい町」をめぐる短編集。

 

静かで幻想的で、こんな世界が現実の隣にあってほしいなと思わせるような不思議な話が織り込まれています。背筋にすっと水を垂らすような不気味さの向こうに切なさを孕んだ「けものはら」、こんなふうに地域が護られていたら素敵だと頷かせる「屋根猩猩」、人間世界の残酷さと生きとし生けるものの深遠さを描く「くさのゆめがたり」、捨てられず忘れられず切り離せない過去から解き放たれようともがく「天化の宿」、人々の思いが生み出す影の町に迷い込む「朝の朧町」。

 

誰かに読んでほしい話、というのはこういう話かもしれません。

 

 

⑥【学生生活を、後悔していませんか。】『四畳半神話大系森見登美彦 角川文庫

 ☆☆☆☆ 

四畳半神話大系 (角川文庫)

四畳半神話大系 (角川文庫)

 

 森見登美彦さんの長編第二作。

 

大学3回生の私は、不毛なことに時間と体力を費やしてきたこの二年間を振り返るに、不満足な現状の元凶が悪友・小津にあるように思われてならない。そもそも1回生の春、興味をひかれた4つのサークルビラから、あの1枚を選んだのが間違いだった。

 

それを思うにつけ、一回生の春、映画サークル「みそぎ」へ足を踏み入れたことがそもそも間違いであったと言わざるを得ない。 (p. 8)

連作となっている4話すべてが、主人公の後悔にはじまるこの作品。第一話を読み終えて第二話の冒頭に来たところで、はてさて、これはどうしたことかと首をかしげます。物語のからくりが見えてきてからは、つい考えてしまうのがやはり主人公と同じ後悔のこと。人生に後悔していることがあるとして、その結果を帳消しにするためにはどこまで時計の針を巻き戻せばいいのか。どの瞬間のどんな選択を取り戻せばいいのか。

もうちょっとましな大学生活を送るべきだったとか思ってるんでしょ。 (p. 52)

慰めるわけじゃないけど、あなたはどんな道を選んでも僕にあっていたと思う。 (p. 53)

キャラクターで気になったのは、様々なたくらみに主人公を巻き込み、彼の周りを縦横無尽に動き回って暗躍する悪友・小津。度を過ぎたいたずらで人を失意のどん底に突き落とすような男である彼にも、憎めないところがあり、嫌いになるどころか、少し好きになってしまうのが不思議です。なんだかんだいって主人公と小津の関係もなかなか捨てたものではない。 

 

よほど気に入った本でなければ、同じ文章を3度4度と繰り返し読むことはありません。けれどこの本ではそれを半ば強いられたおかげで、開いたページのところどころに長く親しんだ気のする文章が散らばっていて、なんだかしてやられた気分でした。

 

 

⑦【あなたは物語を、だれに語っていますか。】『地図男』真藤順丈 MF文庫ダ・ヴィンチ

 ☆☆☆☆☆ 

 『宝島』で第160回直木賞(2018)を受賞した真藤順丈さんのデビュー作。

 

フリーの助監督としてロケハンを繰り返す「俺」は、手に持った地図帖に物語を書きつづる「地図男」に出会う。関東の土地土地で鮮やかに繰り広げられる多種多様なストーリー。なぜ彼は物語を語り下ろすのか。彼はいったい誰に、その物語を語るのか。

 

地図男が地図帖を開くとき。

物語を、地図男はだれに語っている? (p. 64)

助監督として、自分もまた物語の届け手である主人公の抱くこの問いはとても大きな問いです。物語の語り手は、あるいは作家は、物語を語るとき、だれに語っているのか。自分たちの人生が物語のように紡がれるとき、それはだれが読むのだろうか。そもそもここにある文章はだれに向けて語られた文章なのだろうか。様々な問いへと派生していく。

大好きな映画の、大好きな台詞に、「なにかいい物語があってそれを語る相手がいる、それだけで人生は捨てたもんじゃない」というものがありますが、物語をだれかが語ればそこには必ず聞き手・読み手が存在します。そのことをちらとでも意識すると、語りの聞こえ方が一段深くなるような気がします。

 

あのね。

どうしたらいま、向こうッ岸まで気持ちが届くのか、ぜんぜんわからなくって。

だからね。あたしはね。とにかく語りかけてみることにしたの、こうやって。 (p. 78)

中盤から地図男が語りだす、ムサシとアキルの恋物語、この語りが断トツで心に訴えかけるものがありました。ストーリーやキャラクター、映像美や比喩の見事さなど、小説の楽しみはたくさんありますが、ほかの何よりも語りそのものに引き込まれ、心動かされるというのはあの直木賞受賞作『宝島』にも共通するところです。物語ることの意味まで考えさせるのも、また。

 

ムサシとアキルの悲恋に涙して、主人公が地図男の本質と対峙するラストシーンに目の前がすっと開けたような気持になって。心地よい読書体験でした。

 

 

独りであること - 5月の読書記録

今月はためしに、個人的なことを多めに書いてみようと思います。読書という個人的な体験を、できる限り率直な言葉で書き記すのがこのブログの目的なので。

 

 

①『ロング・グッドバイレイモンド・チャンドラー 村上春樹訳 ハヤカワ・ミステリ文庫

☆☆☆☆☆

 ハードボイルドの傑作。

 

いわく言いがたい魅力を持った男テリー・レノックスを数度救うことになった探偵マーロウは、妻を殺した容疑をかけられ自殺した彼のために、人の情と策謀の絡み合う大きな事件の渦に巻き込まれていく。

 

細部まで、とことん書き込みのされた、それでいて、細部まで、小気味よく皮肉の利いた筆致。ハードボイルドとして名の知れた作品を読むのは記憶にある限り初めてでしたが、人間の振る舞いを限りなく細密に、一切の無駄を排して描き出すことで、ここまで読む人の感情に訴えかけるとは。

 

展開も、まさかもまさか、そのまさかで、予想を鮮やかに裏切っていく構成。しかしそうした謎解き以上に、真相に迫っていくマーロウという人物と、マーロウをひきつけてやまないテリー・レノックスという人物に読者もまた惹きつけられていきます。

 

長い長い事件ともいうべき物語の最後に漂う、静謐な喪失感、切なさとでもいうべきものが、読み終えた後もしばらく胸に残って──。

 

 

②『きらきらひかる江國香織 新潮文庫

☆☆☆☆

 実家にたくさんある江國香織さんの作品の手始めに。

 

「アル中の妻にホモの夫」。それから夫の愛人・紺くん。3人の奇妙な関係は、明滅する夜空の星みたいに、消えそうでいていつまでも消えない。

ふりむいて、お帰りなさい、と言うときの笑子の顔が、僕は心の底から好きだ。笑子は決して、うれしそうにでてきたりしない。僕が帰るなんて夢にも思わなかった、というような、びっくりした顔をして、それからゆっくり微笑むのだ。ああ、思い出した、とでもいうように。僕はとてもほっとする。(p. 30)

以前、ある友人に、人を好きになるとはどういうことか、と尋ねられて、これという答えを返せなかったことがあります。今度会ったら、この本を差し出してみるのもいいかもしれない。難しいことはわからないけれど、ここには「好き」がたくさんあります。

 

「紺くんの話をして」(p. 31)

作中、妻の笑子は夫の睦月に何度かこう聞きます。

好きな人の、好きな人の話を聞くとき、人はどんな気持ちで耳を傾けるんだろう。まして自分から、話を促すようなときには。

 

変わらずにいられるって言ったじゃない。二人ともそうしたいと思っているのに、どうしてそうできないことがあるの。(p. 151)

 気持ちだけで成り立っている関係は不安なもの。肌を合わせたり、子供を持ったり、そういう目に見えることで関係の不確かさを緩和していかなければ、水を抱くような曖昧さからは逃れられない。はたから見れば奇妙に見える関係に、周囲のおせっかいや互いの気遣いが水を差していく。だからといって、不安定であいまいな関係があってはいけないわけじゃない。むしろそういう関係があるっていいじゃないかと、ここに描かれるカップルたちは教えてくれているような気がします。

  

 

③『1R1分34秒』町屋良平 新潮社

☆☆☆☆第160回芥川賞受賞作(2019年)。今はもうなくなった渋谷のブックカフェにて。

 

ボクシングの小説、というものに触れるのは初めてでした。胸をつかれたのは、ボクシングにかける自分の人生を見つめる主人公の言葉。

自分なりに一瞬一瞬を懸命に生きた。それでもそんなものは全ボクサーの当たり前の水準で、どれだけ瞬間の濃度をたかめられたかどうかに、努力と才能がかかっている。(p. 9)

生命力が尽きかける、意識が削がれる一瞬にも一発のパンチを返したい、一秒長くボクサーでいられるなら一生を捧げても構わない、そんな毎秒がつみ重なって命が矛盾するんだ。(p. 102)

 

主人公の一人称で語られていく物語。するすると流れていく彼の意識の流れに読み手が追いついてからは、試合のシーンがリアルに立ち上がってきて、これがまた新鮮な読み心地。自分の人生の、一瞬一瞬を見つめ、反省を繰り返す主人公。自己との葛藤、ウメキチとの鍛錬、映画を撮るのを趣味にする友人との触れ合いを通じて、彼は世界のとらえ方そのものを変えていきます。

 

終盤が圧巻。思考と世界と夢と現実がごちゃ混ぜになっていく過程の描写が強烈で、つい何度も読み返してしまいました。

 

 

④『ファーストラヴ』島本理生 文藝春秋

☆☆☆☆☆

第159回直木賞受賞作(2018年)。友人の勧めで。

 

局アナの面接帰り、女子大生が父親を殺した。彼女やその関係者との面会で浮かび上がってくるのは、主人公・臨床心理士を含め、登場人物一人一人が抱える人生の重み。

環菜の過去をたどっていると、私たちの内包した時間もまた巻き戻される。(p. 67)

誰かの話を聞いて、誰かを知ろうとすることは、聞き手である自分自身のことを知ろうとすることでもあるのだと知りました。

 

この物語は、真実に少しずつ少しずつ声が与えられていく過程。

 

名付けとは、存在を認めること。存在を認められること。(p. 217)

 そう本書にありましたが、ならば描くことも、存在させること。気持ちや本心を言葉にすることも、また。言葉にすることのできなかったことが、向き合ってくれる、受け止めてくれる誰かがそこにいることで、言葉になり、そこに初めて、過去や思いが、存在し始める。 

愛情がなにか分かる? (p. 234)

声をすくい上げる主人公の教える答えは、とても印象的でした。

 

 

⑤『おるもすと』吉田篤弘 講談社

 ☆☆☆☆

広島の本屋で、装幀に惹かれて。ゲストハウスの細長い廊下の向こうにある、小さな本屋でした。

 

墓場の上の崖に立つ家、石炭をえり分ける、「でぶのパン屋」のパンを食べる、僕は一人で暮らす、「こうもり」と呼ばれている。

 

なんだろうこの物語は。心がしんとする。詩を読んでいるみたいだ。静謐で、哀愁さえ漂う、一編の詩。

窓を開けて見おろすと、死んでしまったひとたちの「しるし」が見える。僕は墓のひとつひとつを「しるし」だと思う。ここに生きた、そして死んだ。終わり。覚えておこう。その「しるし」に石をひとつ置いておこう。それが墓だ。 (p. 9)

 語り手が「しるし」と名づける、墓が立ち並ぶ風景は、いろいろなことを思い出させてくれる。幼なじみが寺の子だったものだから、小さなころ、寺の境内でよく遊んだ。鐘つき堂の周りを走り、墓の間を駆け抜けて、鬼ごっこをしたこともある。今思えば罰当たりな話だが、墓に入ることになったら、僕はむしろ、子供たちがあたりを駆け回っていたらいいと思う。自分のいた「しるし」は、そこをだれもが恐れて近寄らなくなれば、存在しないも同じだ。終わりを遠ざけるのではなく、終わりと共存できる生の形が、あってほしいものだと思ってしまう。イギリスを訪れたとき、膝の高さくらいの段差に隔てられて、墓地と公園が隣接していた。公園ではボール遊びをする親子や、バルーンで遊ぶ子どもたち、バスケットボールをする若者たちがいた。なんだかいいなあ、と思ったことを覚えている。

 

「余白」のたっぷりある文章だから、自然、いろいろなところを思考がさまようのかもしれません。

 

本編も好きでしたが、「話のつづきの、そのまたつづき」がすごく好きでした。

たとえば、長いあいだ読まずにいた本を棚の奥からひさしぶりに引き出したとき、その本を買ったときの、雨あがりの街の匂いや人の声までもがよみがえる。本にはきっとそうした力がある。 (p. 102)

そこには著者なりの、紙の本、書店への愛が綴られています。

何かが終わろうとしているのではない。ここから遠ざかろうとしているのは自分たちの方なのである。 (p. 106)

 終わりかけて見えるものから目をそむけてはいけない。紙の本も、書店も、まだ終わっちゃいない。まるで終わっていない。僕が旅先の小さな書店で、この本を手に取り、気に入って購入し、いまこうして読み終えた思いを言葉にしていること、それ自体、紙の本も書店もまだまだ捨てたもんじゃないということの証明ではないでしょうか。

 

 

⑥『二十歳の原点高野悦子 新潮文庫

☆☆☆☆

父の書斎から。昭和54年(1979年)初版本。

 

支配と抵抗のはざまで、派閥と派閥の板挟みで、多くの若者が争いに身を投じていった大学紛争のさなか。自分らしさを通そうと、自分とはいかなるものかを、徹底的に悩みぬいた一人の女子大生がいた。

 

自分を大切にせよ。おまえは不器用だが、物ごとに真面目に真剣に取りくむ。他人を愛しいとおしむ気持は一番強いのではないか。けれども、おまえにも悪いところはある。自己主張が強い、というより我ままだ。他人の心情を察することをしない、己れを律することができない、自尊心が強すぎる、恥ずかしがりやだ。 (p. 6)

自分を見つめ、

大事なことは、「私」がどう感じ、どう考えたかということではないか。 (p. 18)

内省し、

ヒトリデ サビシインダヨ
コノハタチノ タバコヲスイ オサケヲノム ミエッパリノ アマエンボーノ オンナノコハ (p. 90)

時におどけて、

とにかく私は いつも笑っている
悲しいときでも笑っている
恥ずかしいから ごまかして笑うのか
怒るのが てれくさいから笑うのか
いつでも私は おかしくて笑っている
ほんとうに何でもおかしい (p. 190)

詩作に身をゆだね、

アッハッハッハッ。君。失恋とは恋を失うと書くのだぜ。失うべき恋を君は、そのなんとかいう奴との間にもっていたとでもいうのか。 (p. 185)

明るいふりをしながら、

今や何ものも信じない。己れ自身もだ。 (p. 196)

孤独を極めていった彼女。

 

彼女はどうしても、自分のあり方を問い直し続けねばならなかったのだろうか、と思います。徹底的なそれは、取り巻く時代の要請なのか、彼女自身の、内省的この上ない性質のためなのか。まして彼女は、野山と戯れ、誰かに恋をし、酒やたばこに愚痴をこぼす、そんなどこにいてもおかしくはない大学生なのだ。40年経って僕ら学生は、自らを取り巻き、その声を亡き者として、支配の構造の中に貶めてしまう、得体のしれぬ大きなものの存在を、どれくらい意識しているのだろう。

 

表紙にもある、「旅に出よう」に始まる最後の詩が残す余韻──。

 

 

⑦『鴨川ホルモー万城目学 角川文庫

 ☆☆☆☆万城目学さんのデビュー作。友人の勧めで。

 

ひょんなことから(とんだ恋ごころから)、京大1回生の「俺」が籍を置くことになった怪しげなサークル、「京大青竜会」。その正体は、「ホルモー」というこれまた怪しげな伝統を守り抜く、由緒正しき集団だった。

 

「このごろ都にはやるもの、」に始まる裏表紙の紹介文が遊び心満載です。もちろん本編にも渾身のおふざけが詰まっています。「ホルモー」という言葉だけでなく、

ぐああいっぎうえぇ (p. 82)

ふぎゅいっぱぐぁ (p. 84)

 などなど、ふざけた表現・設定・出来事が次から次へと現れます。物語はおふざけでも、そこに生きる登場人物たちは恋にも友情にもホルモーにも真剣勝負。

勝利の口づけを与えんと、我々の両頬に手をかけ、その嫋やかな吐息を間近に感じさせていたにもかかわらず、突然ぷいとそっぽを向いてしまったのだ。 (p. 139)

 気取った、というべきか、すかした、というべきか。とにかく持って回った、ちょっぴりおかしな調子の語りが、物語をぐいぐい進めていく、これがまたいい。

 

「ホルモー」の戦闘や恋愛・友情の青春劇はもちろん面白いのですが、「ホルモー」とそれを取り巻く奇怪なものどもに僕は一番惹きつけられました。得体のしれぬもの、神秘的なもの、戦慄させども目には定かに見えぬもの、そうしたものが古来から綿々と受け継がれ続けているということに、どうして人はこんなにもひきつけられるのだろう。これは万城目学さんの人気小説『プリンセス・トヨトミ』(文春文庫)にもつながっていることのように思います。

どうして──俺たちは今もホルモーなんてものを、やっているんでしょう。 (p. 287)

綿々と受け継がれ続けているなにかに対する興奮、あこがれ、愛着、郷愁のようなものを、きっと誰もが持っていて、そこを器用にくすぐる猫じゃらしが、万城目学さんの作品なのかもしれないな、と。

 

 

向こう側にある景色 - 4月の読書記録

 平成最後の読書記録です。今月も力強い作品が数多くありました。

 

 

 

①『木曜日の子ども』重松清 角川書店

 ☆☆☆☆☆

木曜日の子ども

木曜日の子ども

 

 重松清さんの最新作にして問題作。

 

父親になろうともがく主人公とその妻子が引っ越してきた場所は、かつて一人の中学生が凄惨な「木曜日の子ども」事件を引き起こした「聖地」だった。あの事件から七年。相次いで起こる新たな事件を目の前にして、父は子を信じ、助けることができるのか。

 

むさぼるように、読みました。今まで様々な父親の葛藤を描いてきた重松さんの、一つの到達点。「子ども」という得体のしれない存在に戦慄する主人公の心のとともに、読んでいる僕らの心が、刺され、斬られ、抉られていきます。

わたし、思うんですよ。世界を滅亡させるとか破滅させるとかって、よく言うじゃないですか。でも、ほんとうは誰も本気で世界のことなんて相手にしてるわけじゃないんです。本気で滅ぼしたいのは、もっと小さな、身近な、そこいらにいる誰かのことで……それを滅ぼすために、世界も『ついで』や『おまけ』で滅ぼされちゃうんじゃないか、って。(p. 263)

妙に説得力のある台詞に、読む側が「説得されたくない」ともがきたくなる。それでも、わからないことが恐ろしくて、怖いもの見たさで、どうしてもその「わけ」を知りたくて、ページを繰ってしまう。

 

終盤、主人公がマンションの屋上にのぼろうとするシーンで、空が迫ってくるように感じられる描写は圧巻でした。小説にしかできない、存在に対する揺さぶり。

 

読み終えた後、しばらく呆然として、それから少し考え直しました。この物語の結末が見せてくれる風景は、安易に解釈すべきものではないのだと。

 

 

②『夫のちんぽが入らない』こだま 講談社文庫 

☆☆☆☆

夫のちんぽが入らない (講談社文庫)

夫のちんぽが入らない (講談社文庫)

 

 タイトルが隠されてきた作品。

 

あらすじは言うまでもないでしょう。タイトルの通り。「だからなんだ」という人にこそ、この小説を読んでほしい。そういうことを言えなくさせるだけの言葉がここにあるのです。

 

途中、涙がこみ上げました。

 

子どもがいない、ちんぽが入らない。そんな「字面」の向こう側にある景色を、ユーモア交じりにさらけ出して見せる。そのユーモアには、切なさと同程度の可笑しさがブレンドされていて。おこがましいかもしれないけれど、この本を読むという経験が、どれだけ僕の世界を広げてくれたことか。

 

この文庫本は、あとがきや解説から読まない方がいいでしょう。そこまで含めて、一つの作品に仕上がっているから。

 

 

③『昭和史1926-1945』半藤一利 平凡社 

☆☆☆☆

昭和史-1945 (平凡社ライブラリー)

昭和史-1945 (平凡社ライブラリー)

 

 3月に広島を訪れた際、ふと「読まなくては」と感じて。

 

日本人は、明治の近代化の過程で築き上げていった国を、昭和の前半でいかにして滅ぼしていったか。その明快にして、人間味あふれる講義。

 

日本の中枢で権力を握っていた人々のやり取りの唖然とし、落胆し、憤慨し、まれではあるものの感心もしました。そしてあらためて、歴史は過ちこそまず学ばれるべき、と痛感しました。

 

自賛してばかりの歴史本が人気を博すこともありますが、それが第一になってはならないのでは、と。歴史を見るうえでの一つの視点として尊重はされるべきですが、過ちを繰り返してきた歴史をまず学んだうえで、それでも日本人はいいこともやってきた、と謙虚に捉えなおす。これくらいのバランスでよいのではないでしょうか。

 

少し長めの引用になりますが、こんな言葉が胸に残りました。

これは何もあの時代にかぎらないのかもしれません。今だってそうなんじゃないか。なるほど、新聞やテレビや雑誌など、豊富すぎる情報で、われわれは日本の現在をきちんと把握している、国家が今や猛烈な力とスピードによって変わろうとしていることをリアルタイムで実感している、とそう思っている。でも、それはそうと思い込んでいるだけで、実は何もわかっていない、何も見えていないのではないですか。時代の裏側には、何かもっと恐ろしげな大きなものが動いている、が、今は「見れども見えず」で、あと数十年もしたら、それがはっきりする。歴史とはそういう不気味さを秘めていると、私には考えられてならないんです。ですから、歴史を学んで歴史を見る眼を磨け、というわけなんですな。いや、これは駄弁に過ぎたようであります。(p. 268)

 

 

④『昨夜のカレー、明日のパン』木皿泉 河出文庫

☆☆☆☆☆ 

 古本屋で見つけて。木皿泉作品は初めて。

 

沁みる。いつか見たシーンが想像以上に悲しくてあったかい意味を持っていく。

 

大きな事件が起きるわけじゃない。何気ない日常のなかに、変わっていく関係と、変わることのない関係と、変わることをやめてしまった関係が共存している。流動的な関係のなかに、人生の機微のようなものを見出して、そこにあてた光が温かい。

 

ほっとさせてくれる、物語というものがあります。

思いがけない形で、登場人物の心が、今までとは少し違う、だけどしっくりくるところに落ち着いて、それに安心させられる。そう考えていたら、解説で重松清さんが同じようなことを書いていました。そういえば重松さんの家族を描いた作品の多くも、人を安心させるところがありますよね。

そういう物語は好きです。

 

 

⑤『ノースライト横山秀夫 新潮社

☆☆☆☆☆  

ノースライト

ノースライト

 

横山秀夫さん、6年ぶり最新作。

 

信濃追分に建てる新築の設計を頼まれた。しかし依頼主は、古い椅子を一つ新築の部屋に残して失踪。彼はなぜ姿を消したのか──。

その謎は、偉大な建築家の人生を巡る謎に、あるいは一建築士である主人公自身の人生を巡る謎につながっていく。

 

この本を読むまで、家とそこに住む人々の断ちがたいつながりについてなど、考えたこともありませんでした。

 

誰かの人生に、読み手である自分が取り込まれていくような感慨。芸術をこの世に遺すということの意味を改めて考えさせられました。

美しいものを、愛する者に、遺したい。届けたい。届かぬ思いさえ、届くと信じて。

あるのは光の記憶だけだ。優しい光のその中へ戻りたいと渇望することがある。
渡り歩いた飯場は、どこも不思議と北側の壁に大きな窓があった。その窓からもたらされる光の中で、本を読んだり絵を描いたりするのが好きだった。差し込むでもなく、降り注ぐでもなく、どこか遠慮がちに部屋を包み込む柔らかな北からの光。東の窓の聡明さとも南の窓の陽気さとも趣の異なる、悟りを開いたかのように物静かなノースライト──。(p. 28)

引き込まれた描写です。

誰かが誰かを思う気持ちが絡まりあって、謎をはらみ、美しい物語になった。柔らかな光が「差し込むでもなく、降り注ぐでもなく、どこか遠慮がちに」、その物語を包み込む。心地よい、優しい光だ。

 

最高傑作を読んでしまいました。

 

 

⑥『卵の緒』瀬尾まいこ 新潮文庫

 ☆☆☆☆ 

卵の緒 (新潮文庫)

卵の緒 (新潮文庫)

 

 『そして、バトンは渡された』(文藝春秋)で本屋大賞を受賞した瀬尾まいこさんのデビュー作。友人の勧めで。

 

血を超えたつながりの温かみを描いた前半の中編「卵の緒」にこたえるように、血のつながりが持つ温かみを後半の中編「7's blood」が描いているように思いました。

 

小説というものは、ありふれた言葉でくくることのできない関係を、できるだけそのままに描き出そうとするもの。だとすれば、ここに描かれている関係性の、なんと温かく、かけがえのないことか。

 

叫びたくなりました。母さんさいこう。育生さいこう。朝ちゃんさいこう。七子も七生もさいこう。

 

登場人物たちの言動にたいして、どうしてこんなことができるのだろう、という違和感と同時に、本来こうあるべきなのではないか、という納得感が湧いてきて、そういう違和感と納得感がないまぜになったような心地に、登場人物たちが読む人をひきつけてやまない原因があるのかもしれません。

 

 

⑦『泣き童子 三島屋変調百物語参之続』宮部みゆき 角川文庫

☆☆☆☆☆

 三島屋シリーズ第三作。

 

怪奇な話と見せかけて、どこにでもある話をしてみせたような「魂取の池」、災厄と愛する人の死が、不思議な夢と結びついていく「くりから御殿」、人の闇を突きつける「泣き童子」、人の情にあふれた怪異談「小雪舞う日の怪談語り」、世にも恐ろしい怪物を描く「まぐる笛」、そして今までにない読後感の「節気顔」。

 

巻を重ねるたびに満足度も増しています。

 

不思議だけれどほっとする怪異もあれば、心の臓が縮み上がるような怪異もあり、背筋に冷や水を落とされたような怪異もあれば、切なく涙を誘う怪異もあり。

 

なかでも表題作「泣き童子」にはぞっとさせられました。聞き手であるおちか同様、読み手である僕らにも、物語のいきつく先が次第に見えてくる。最もそうなってほしくない形で物語が進んでいくことを理解していながら、そうならないことを確認したくて、そうならないことを願いながらページを捲る。怖いもの見たさとは少し違う感覚ですね。

 

次作は6月に文庫化とのこと。

 

 

⑧『生きてるだけで、愛。』本谷有希子 新潮文庫

☆☆☆☆ 

生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)

生きてるだけで、愛。 (新潮文庫)

 

 映画を観て原作が気になって。

 

劇作家が書くだけあって、台詞一つ一つに込められた熱量がすごい。

ねえ、あたしってなんでこんな生きてるだけで疲れるのかなあ? 雨降っただけで死にたくなるって、生き物としてさ、たぶんすごく間違ってるよね? (p. 106)

あるいは。 

いいなあ津奈木。あたしと別れられて、いいなあ。(p. 107) 

生きてるだけでいいんだよ、なんていう安易な全肯定ではない。何もかもうまくいかない、自分とのかかわり、他人とのかかわり。どんなに自分を叱っても、嫌っても恨んでも蹴飛ばしたくなっても、自分は生まれた時から自分のままで。生きてるだけで、こんなに疲れる。だけどそんな人生で一瞬だけ、「脳細胞がしびれるくらい強烈で鮮烈な」つながりを、誰かとの間に感じることができたら。

 

心の目に焼きつく名シーンにあふれた小説でした。

 

 

ドラマチックという言葉 - 3月の読書記録

新年度に入る前に、3月の記録を。

今回も不思議な顔ぶれ。長めな作品も二つほど。

 

 

 

①『地球に散りばめられて』多和田葉子 講談社

 ☆☆☆☆☆

地球にちりばめられて

地球にちりばめられて

 

 友達の薦めで。

 

装幀はきれいな和菓子。

 

中国大陸とポリネシアの間に浮かぶ列島に生まれたHirukoは、遠い異国の地で母国を失い、同じ母国語を話す誰かを求めて旅をする。彼女と彼女を取り巻く人々の、言葉を巡る旅の物語。

 

日本語らしき言葉や、ドイツ語、英語、スカンディナビアの言葉を一つにした人工語。日本語という媒体の上で、様々な言葉が飛び交い、人と人がつながっていく過程が美しくて。言葉によって言葉そのものを描こうとする、そのこと自体が美しくて。

 

惹きつけられる表現に数多く出会いました。

彼女の顔は空中にある複数の文法を吸い込んで、それを体内で溶かして、甘い息にして口から吐き出す。聞いている側は、不思議な文章が文法的に正しいのか正しくないのか判断する機能が停止して、水の中を泳いでいるみたいになる。これからの時代は、液体文法と気体文法が固体文法にとってかわるのかもしれない。 (p. 12)

あるいは。

言葉が記憶の細かい襞に沿って流れ、小さな光るものを一つも見落とさずに拾いながら、とんでもない遠くまで連れて行ってくれる。 (p. 271) 

 じっくり読んで、いつまでもその言葉の海にたゆたっていたいと感じられる作品でした。

 

 

②『涼宮ハルヒの憂鬱谷川流 角川文庫 

☆☆☆☆

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川文庫)

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川文庫)

 

 名作が角川文庫に襲来。

 

ライトノベルと名のつくものを読んだのはこれが初めてかもしれません。これまで敬遠していた類のジャンルで、その大ボスに挑戦。

なんだこれ、面白いぞ。

 

自分がきっと特別で、面白くて非日常な出来事が自分を待っているのだと信じて疑わない、一人の少女の物語。

 

ストーリーのスピード感、キャラクターの濃さ、滅茶苦茶に見えてしっかりSFとしての根っこに支えられた構成。

 

語り手の「俺」の、涼宮ハルヒに対する皮肉と諦めとちょっとの共感とたっぷりのユーモアがちょうどいい

 

 

③『献灯使』多和田葉子 講談社文庫 

☆☆☆☆☆ 

献灯使 (講談社文庫)

献灯使 (講談社文庫)

 

 こちらも多和田葉子さん。以下感想は表題作について。

 

鎖国し、食糧不足に陥り、数多くの言葉が失われ、健康な子供は生まれなくなり、年寄りばかりが力強く生きている時代。そこに、曾祖父と曾孫はいた。

 

どうしてこんなに悲惨な世界を、ユーモアたっぷりに描けるのだろうと思いながら読み進めるうちに、なんだか悲惨でもないような気がしてきたりして。

 

曾孫の無名のひ弱さを嘆きながら、必死に守り育てようとする曾おじいさんがかっこよくて

無名、待っていろ。お前が自分の歯では切り刻めない食物繊維のジャングルを、曾おじいちゃんが代わりに切り刻んで命への道をひらいてやるから。 (p. 41)

 

読み終えて、震えました。

 

 

④『MISSING』本多孝好 角川文庫

☆☆☆☆

MISSING (角川文庫)

MISSING (角川文庫)

 

 昔読んだきり読み返していなかった短編集。

 

どれも余韻のあるミステリ、しかもとても短い。

「眠りの森」と「瑠璃」が特に好きでした。

 

ひとつひとつテンポもムードも違って、飽きさせません。

 

 

⑤『ぼくが愛したゴウスト』打海文三 中公文庫 

 ☆☆☆☆☆

ぼくが愛したゴウスト (中公文庫)

ぼくが愛したゴウスト (中公文庫)

 

 伊坂幸太郎さんのお気に入りの一冊。解説も伊坂さんです。

 

 11歳の夏。自分はこの世界の人々と違うのだと、気づいてしまった少年の冒険を描く。

 

物語の正体がなかなかつかめない、得体のしれない面白さがあり、ぐいぐい読みました。『1984年』(ジョージ・オーウェル)の「正気かどうかは統計上の問題ではない」という言葉が思い出されます。自分を取り巻く世界がおかしいと気づいたとき、その世界に対して、自分がおかしくないと証明することができるのか

 

なんだろうこの余韻は。

11歳の少年の、世界と自己存在を巡る成長物語。

主人公・翔太の意識がどこにたどり着くのか、結末は予想を超えていました。

 

 

⑥『文学部唯野教授筒井康隆 岩波書店

 ☆☆☆☆ 

文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)

文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)

 

 この本の関係者が自分の関係者でもあると知って。

 

饒舌極まりない大学教授、唯野仁の授業は、いつも満席の名物講義。隠れて小説を発表している彼の周りには、七癖も八癖もある教授や助手、記者連中が渦巻いていて、大学とマスコミと文学の板挟みですりゴマのようになりながら、唯野は今日も破天荒な文芸批評講義を繰り広げる。

 

ゲラゲラ笑いながら読める人と、顔をしかめる人とで評価が分かれそうですが、文芸批評に少しでも興味があればきっと楽しめます。

 

 

⑦『記憶屋』織守きょうや 角川ホラー文庫 

☆☆☆

記憶屋 (角川ホラー文庫)

記憶屋 (角川ホラー文庫)

 

 知り合いの薦めで。

 

人の記憶を消すことができるという怪人・記憶屋を巡る物語。

 

謎解きと謎の答えをほのめかすエピソードが順序良く配置された、きれいな構成のお話でした。

 

どうしてこれが「ホラー」なのか最初は疑問だったのですが、しばらくして納得。

自分を知っていたはずの誰かが、自分を忘れてしまうこと

これって、ひょっとしたらその辺のホラー映画よりもずっと恐ろしい、しかも容易に起こりうる恐怖なんですよね。

 

再び記憶について考えさせられました。

 

 

⑧『ホテル・ニューハンプシャージョン・アーヴィング 中野圭二訳 新潮文庫 

 ☆☆☆☆☆

ホテル・ニューハンプシャー〈上〉 (新潮文庫)

ホテル・ニューハンプシャー〈上〉 (新潮文庫)

 
ホテル・ニューハンプシャー〈下〉 (新潮文庫)

ホテル・ニューハンプシャー〈下〉 (新潮文庫)

 

 『サラバ!』(西加奈子 小学館文庫)に登場して気になっていた作品。

 

父、母、祖父、兄、姉、弟、妹、飼い犬、そして僕。それぞれに傷を抱えたある家族が、一家でホテルを営んでいく波乱万丈の「おとぎ話」。

 

上下巻合わせて800ページ超ありますが、少しも長いとは感じられませんでした。それほど、エピソードがふんだんに盛り込まれています。

 

はじめの一章だけでも、じゅうぶん一つの作品として成立するほどの充実感。

ずっと前に現れた台詞が、何度も形を変えて現れるリフレイン。

傷つきながら生きていくこの家族に、幾度感情を揺さぶられたことか。

 

今まで僕は、ドラマチックという言葉を安易に用いすぎたのかもしれない。ドラマチックとは、波瀾万丈で感動的で印象的で、劇的であること。そしてこの物語にこそ、ドラマチックという言葉が最もふさわしいと思われるのです。

 

印象的だった父親の台詞を一つ。

「われわれが何を失ってもそこから立ち直って強くなれないんだったら、そしてまた、なくて淋しく思っているものや、欲しいけれど手に入れるのは不可能なものがあっても、めげずに強くなれないんだったら」父さんは言う、「だったら、われわれはお世辞にも強くなったとは言えないんじゃあるまいかね。それ以外にわれわれ人間を強くするものがあるかね?」 (下 p. 198)

 

人生の節目にまた読み返したい作品です。

 

 

⑨『悪人』吉田修一 朝日文庫 

☆☆☆☆☆

悪人(上) (朝日文庫)

悪人(上) (朝日文庫)

 
悪人(下) (朝日文庫)

悪人(下) (朝日文庫)

 

 言わずと知れた名作。

 

三瀬峠で一人の女が殺された。男はなぜ、彼女を殺害したのか。

殺された彼女と殺した彼。そして彼を愛したもう一人の女。3人にかかわる人間たちの愛の物語。

 

読んでいて、映画を観ているようでした(小説をこんな風にたとえていいのでしょうか)。鮮やかな場面転換。次々と切り替わる語りの中心人物。

 

読み手は急に、誰かの人生に放り込まれる。読み進めるうちに、この人も事件にかかわる人間なのだと気づく。その繰り返し。誰一人、薄っぺらい操り人形のいない、重厚な群像劇。

 

終盤、被害者の父が漏らす一言が胸に刺さりました。(ここでは伏せます)

 

容疑者として、あるいは有罪判決を受けた罪人としてニュースで報じられる人間を、「悪人」と切って捨ててしまう僕ら。対してこの小説は、一人の罪人の人生を、彼にかかわる人々の人生と同じように並べてみせ、偏りのない眼差しで描き、伝えています。

 

「悪人」とは。「加害者」とは。「被害者」とは──。