つきよみ。

月に一度読書記録を書きます。

夢は、抱いていよう - 9月の読書記録

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少なめですが、遅ればせながら9月の読書記録を。

 

 

①【何が何でも叶えたい夢はありますか。】『ひとりずもう』さくらももこ 集英社文庫

☆☆☆☆

ひとりずもう (集英社文庫)

ひとりずもう (集英社文庫)

 

さくらももこさんのエッセイ。文学Youtuberベルさんの動画から。

 

さくらももこさんのエッセイと言えば、小中学生のころ、漫画を読むような気楽さで、読み漁った記憶があります。むしろ漫画より先に、エッセイを読んでいたのでは、と思うくらい。

 

本作は、性の問題に悩み、初恋をし、将来への一歩を踏み出そうとする青春時代の話。

 

私のとって、男子はゴリラかオランウータンだった。(p. 31)

そんな一言に男子の立場ながらうなずいてしまったり、

せめて信号機ぐらいに、彼の注意をひく存在になりたい。(p. 101)

はじめて一目惚れをした少女の感情の吐露に、切実なはずが少し笑わせられたり。

そういう小さなエピソード一つ一つも魅力的なのだが、なんといっても後半の、夢に向かっていく彼女の葛藤と決断が必読。 

近所の文房具屋が、将来への第一歩だ。(p. 172)

私は、漫画家になりたい。小さい頃からそう思っていたのだ。絵も好きだし、文章も好きだ。それ以外のことは全部苦手だ。そんな事、最初っからわかっていたのに、私は何を迷っていたんだろう。(p. 198)

紆余曲折あって、一度は諦めかけた漫画家の夢をもう一度持ち直すところなんて、彼女がどれだけ素晴らしい漫画を描く人であったかを知っているだけに、つい涙ぐんでしまった。力強い、生きるうえで支えになるような言葉を、たくさんもらった。

他の人の人生じゃない、私の人生なんだ、と誰かに何か言われるたびに強く思った。(p. 207)

極めつきはあとがき。さくらももこさんはそこで、夢論というか、青春論というか、人生論というか、夢や人生にどう向き合っていけばよいのかということを、優しい言葉で語っている。そこには、すうっと目の前が開けたような明るさと、すとんと何かが腑に落ちたような重みがある
夢は、抱いていよう、と思った。無理だと思っても、どんなきっかけで、どんな形で、その夢が人生を輝かせるか、その時になるまで、それこそ「死ぬ寸前になるまでわからない」のだから。

 

 

②【あなたの周りにテルちゃんはいますか。】『愛がなんだ』角田光代 角川文庫

 ☆☆☆☆☆

愛がなんだ (角川文庫)

愛がなんだ (角川文庫)

 

今年映画化された話題作。

 

どうしてだろう。私は未だに田中守の恋人ではない──。好きすぎるけど、恋人にはなれない。だけどどこまでも彼に尽くしてしまう、「都合のいい女」、私の全力の恋。

 

映画を観たときから思っていること、僕の心をつかんで離さない一つのことは、どうして好きな人を前にすると、誰も彼もこんなに無力なんだろう、ということ。誰かを好きになったり、誰かに好きになられたりする、そういうことの前では、ここに出てくる人たちはみんな弱い。だから観ていて(読んでいて)誰一人、嫌いになれない。

 

顔が好みだの性格がやさしいだの何かに秀でているだの、もしくはもっとかんたんに気が合うでもいい、プラスの部分を好ましいと思いだれかを好きになったのならば、嫌いになるのなんかかんたんだ。プラスがひとつでもマイナスに転じればいいのだから。そうじゃなく、マイナスであることそのものを、かっこよくないことを、自分勝手で子どもじみていて、かっこよくありたいと切望しそのようにふるまって、神経こまやかなふりをしてて、でも鈍感で無神経さ丸出しである、そういう全部を好きだと思ってしまったら、嫌いになるということなんて、たぶん永遠にない。(p. 150)

そうやって何もかも好きになってしまうテルちゃんも、 

もうほんと、今日はなんでかほかにだれもいねえよってときに、あっ、ナカハラがいんじゃんって、思い出してもらえるようになりたいんす。(p. 95)

でも、思ったんすよ。純粋に人を好きでいるってどういうことなのかって。(p. 200)

相手に尽くす自分であることに悩むナカハラくんも、弱さむき出し、そんなに相手本位になってしまっていいの、と読みながら思ってしまうのだけれど、それでいてそんな彼らの恋愛模様がうらやましくもあるから、悔しい。

最後の最後、テルちゃんの下す決断で、安易に弱いなんて言っていた自分が恥ずかしくもなる。本当に強いのは実はテルちゃんで、これを読んで悔しがっている人はみんな、振り切った恋愛をできずに中途半端なことばかりしている、のかもしれない。

 

 

③【特別であることの孤独を知っていますか。】『七瀬ふたたび』筒井康隆 新潮文庫

 ☆☆☆☆

七瀬ふたたび (新潮文庫)

七瀬ふたたび (新潮文庫)

 

七瀬シリーズ三部作の2作目。

 

この子は今、わたしの心を読んだ。(p. 20)

テレパスが、もう一人のテレパスを見つけてしまう「邂逅」から始まるこの連作短編集には、能力者の孤独と、その孤独を埋めてくれるかもしれない仲間たちとの出会い、そして別れが描かれています。畳み掛けるような意識の描写が相変わらずすごい。特に今回は、自分がテレパスであることがばれないようにしたり、他のテレパスに自分の意識を読ませないようにしたりするために、発話と意識の絡み合いが一層複雑かつ面白くなっています。

 

超能力者は何のために生れてきたのか。(p. 223)

迫害されていくなかで、七瀬が自らに問うこの言葉が読んでいて苦しかった。なぜって、人生において、ネガティブな意味でこの「なんのために生まれて」という問いを立ててしまうことほど苦しいことはないから

神様。なぜ超能力者をこの世に遣わされたのですか。人類を試すためだったのでしょうか。それなら、もしそうだとしたら神様、人類はまだまだです。(p. 235)

最後の「七瀬 森を走る」は、潔く閉じられたエンディング。しかし上に引いた諦めの言葉が、七瀬が神になってしまう(らしい)次作に繋がるのだと思うと、どんな形にせよ物語が続いていくことが嬉しい。

 

 

 

④【旅に出たいと思いませんか。】『オン・ザ・ロードジャック・ケルアック 青山南訳 河出文庫

☆☆☆☆ 

オン・ザ・ロード (河出文庫)

オン・ザ・ロード (河出文庫)

 

ボブ・ディランにも影響を与えた、あまりにも有名な作品。 

 

ぼくにとってかけがえのない人間とは、なによりも狂ったやつら、狂ったように生き、狂ったようにしゃべり、狂ったように救われたがっている、なんでも欲しがるやつら、あくびはぜったいしない、ありふれたことは言わない、燃えて燃えて燃えて、あざやかな黄色の乱玉の花火のごとく、爆発するとクモのように星々のあいだに広がり、真ん中でポッと青く光って、みんなに「ああ!」と溜め息をつかせる、そんなやつらなのだ。(p. 17)

隣にいるだけで興奮が伝染してしまいそうなほど、興奮しきった男。その風に身を任せてしまいたくなるような、新しい風を吹かせる、嵐のみなもと。知識人ぶった連中のなかでひとり、己の欲望のおもむくままに人生を駆ける、そういう存在に惚れ込んで、その隣にいたいと思う、グレイト・ギャツビー然とした物語。

 

最終的なものなんか手に入らないよ、カーロ。最終的なものに辿り着くやつなんかいない。みんなそれを手に入れたいと思って、生きてるだけさ。(p. 79)

路上で友に会い、酒を飲み、たまに働き、愛する人を見つけて、落ち着いたかと思えば、また路上。主人公の居場所はアメリカのいたるところを動き回るけれど、物語は前にも後ろにも、たいして進まないような気がする。ただ、文章が留まるところを知らないというか、次から次へと進んでいく。とにかく車を飛ばし、酒を飲み、叫び、歌い、女の子と遊び、語り合い、また車を走らせる。そういうなんやかんやを、飲むように、読んだ。

オン・ザ・ロード』はストーリーのない小説である。どこから読んでもかまわない、どこを読んでもかまわない、さながら長詩のようである。(p. 524)

解説で訳者が書いていたけど、たぶんその通りなんだろう。こういう青春を送りたかったというと、あまりにもぶっ飛んでいるかもしれないが、ナウオアネヴァーの、興奮し切った人生の瞬間を、感じられたのはいつのことかと振り返ってしまう。まだ遅くはない、だろうか。

 

 

⑤【大人になることは正しいことですか。】『小説 天気の子』新海誠 角川文庫

 ☆☆☆☆

小説 天気の子 (角川文庫)

小説 天気の子 (角川文庫)

 

君の名は。』から3年。新海誠、最新作の原作小説。

 

ねえ、今から晴れるよ。(p. 76)

映画『天気の子』を観たとき、その映像美にただただ感動して、帆高と陽菜が空の向こう側から戻る時の、あの映像と音楽の一体感に心を奪われたのを覚えている。あの時の感覚を思い出したくて、記憶をたどるようにして、読んだ。

 

──もう大人になれよ、少年。(p. 177)

これは、大人になりきれない少年の話だ。いやむしろ、いわゆる分かりきった大人になってしまうことを拒み続ける少年の話だ。だから意見が分かれる。少年の振る舞いが気にくわない、となじる声が聞こえる。だけど、だけど、大人になることが、必ずしも正しいことなんだろうか?

物語は問いかける。

人間歳をとるとさあ
大事なものの順番を入れ替えられなくなるんだよな (p. 186)

圭ちゃんは、かつて帆高のように社会に刃向った、だけどそれをとっくに思い出にしてしまった、そういう大人の一人なんだと思う。

誰かがなにかの犠牲になって、それで回っていくのが社会ってもんだ。(p. 189)

だからこんな風に大人ぶったことをいう。自分はもう大人の側なんだとうそぶいてみせたりする。

世の中の全てのものが自分のために用意されていると信じ、自分が笑う時は世界も一緒になって笑っていると疑わず、自分が泣く時には世界が自分だけを苦しめていると思っている。なんて幸福な時代なのだろう。俺はいつ、その時代をなくしたのだろう。(p. 220)

だけど、世界を全てその肩に乗せてしまうような帆高や陽菜にかつての自分を見て、それが終盤の行動につながっているんだろう。

帆高は、圭ちゃんとは違う。もろくて、気持ちだけは強い、一人の高校生だ。彼は社会に文字通り銃を向ける。社会の犠牲になるのではなく、社会を犠牲にすることも厭わない。映画にちらりと出てきた、キャッチャー・イン・ザ・ライの主人公、ホールデンは、社会に不満をぶつけながらニューヨークの街を歩くけど、彼は口先ばかりで、大した行動を伴わなかった。そこがあの作品の良さでもあるのだけれど。帆高は違う。東京の街を歩き、世界の形を変えてしまうような、とてつもなく大きな、社会への反抗をしてみせる。それをこの作品が手放しに肯定しているとは思わない。肯定寄りであっても、議論の余地を残している。それでも、彼の行動を否定するであろう真っ当な大人たちを、引き止め、大人の当たり前を揺るがすだけの力は持っている。社会が自分や愛する誰かよりも大事なんてことがあるかい、と、揺さぶりをかけてくる。危なっかしい物語だ。似通っている、キャッチャーよりもよっぽど。

 

 

 

⑥【古都の黒い神秘を覗いてみませんか。】『きつねのはなし』森見登美彦 新潮文庫

 ☆☆☆☆ 

きつねのはなし (新潮文庫)

きつねのはなし (新潮文庫)

 

おなじみの京都が舞台、だけど今回は黒い神秘でいっぱいの、短編集。

 

「狐の面だよ」

彼は言った。(p. 36)

表題作「きつねのはなし」は、不気味すぎる話。互いの大切なものをやり取りする、取引は、いつしか取り返しのつかないところまで行ってしまって。狐の面ひとつで、こんなに寒気がするなんて。

辿り着いたのは急な勾配の坂の上にある、立派な門構えの古い屋敷であった。(p. 104)

続く「果実の中の籠」は、かなりお気に入り。著者のほかの作品でも出てきそうな、物知りな「先輩」の問わず語りは、他の短編ともリンクしていて。壊れていく。現実と虚構の境界が。真実と作り話の境目が。

そのケモノは、まだ町をうろついてるんですよ、先生。(p. 221)

話の構成、語りの効果が絶妙で人に薦めやすいのは、「魔」。狭い路地のどこかに今でもいそうなケモノの正体には、こうきましたか、と驚かされる。

たびたび聞こえる、あの水音のせいかもしれない、屋敷のどこかで暗い水が澱んでいる光景が思い浮かんだ。(p. 299)

そして「水神」。これが一番不気味なんじゃないかと思う。不気味なことが、イメージが、とにかく積み重ねられていく。残念ながらそれらがきれいにほどけていく快感はないけれど、結末に納得感はもちろんある。そして不穏なイメージが脳裏に残る。怖いものを一つ取り上げて、そのイメージをここまで膨らませる力には脱帽だ。狐の面、胴の長いケモノ、暗闇と、水の音。