知りたいという気持ちが - 10月、11月の読書記録
10月,11月の読書記録をまとめて。世間はもう師走。星は個人的な満足度で最大5つ。
- ①【運命を、信じますか。】『コクーン』葉真中顕 光文社文庫
- ②【小学生のころ、どんな子どもでしたか。】『ペンギン・ハイウェイ』森見登美彦 角川文庫
- ③【人生における、罪は何ですか。】『降霊会の夜』浅田次郎 朝日新聞出版
- ④【あなたのユリゴコロは何ですか。】『ユリゴコロ』沼田まほかる 双葉文庫
- ⑤【過去は、変えられますか。】『マチネの終わりに』平野啓一郎 文春文庫
- ⑥【あなたの好きな人は、幸せですか。】『いま、会いにいきます』市川拓司 小学館
- ⑦【人生に希望はありますか。】『希望が死んだ夜に』天祢涼 文春文庫
- ⑧【殺してもいい人はいますか。】『そしてミランダを殺す』ピーター・スワンソン 務台夏子訳 創元推理文庫
- ⑨【欺し欺されて生きていますか。】『欺す衆生』月村了衛 新潮社
①【運命を、信じますか。】『コクーン』葉真中顕 光文社文庫
☆☆☆☆
第38回吉川英治文学新人賞候補作。葉真中さんの作品は今後開拓予定。
本作の軸となるのは、1995年に起きたカルト教団による無差別殺人事件。そう書かれればすぐさまあの事件が思い浮かんでしまうのだけれど、もちろんあの事件とは全く別物。描かれるのは、カルト教団「シンラ智慧の会」による、丸の内での無差別銃乱射テロ事件。
シンラの教祖、天堂光翅によれば、この世界は狂った神がつくった〈悪の世界〉なのだという。(p. 27)
実際の事件をモチーフにした作品というのはいろいろあるけれど、これはかなり異色なアプローチ。本作は事件そのものではなく事件に「何らかの形で」かかわる人々の群像劇という形で描かれ、視点の移り方はどこか幻想小説じみている。
そして、夢を見た。
わたしではない、他の誰かの夢を。(p. 13)
黄金色に輝く蝶が人々の夢を結び、夢が人々の人生をつなぐ。その人生一つ一つが、どこかで「シンラ」につながっていく。物語の点と点がつながって線になっていく感覚は、たいてい心地の良いものだけれど、この作品は一味違う。ああ、そこにつながってしまうのか、と、無念な気持ちになることが多々あって、すっかり物語に振り回されてしまう。もちろん、評価としてはいい意味で。
こんな世界をつくるなんて、確かに狂っている。(p. 176)
凄惨な事件を起こす人間を肯定するつもりはないけれど、〈悪の世界〉と呼ばれてしまうような現実世界の不合理さ、不公平さにはリアリティがあって、たしかにこの世界はおかしいのかもしれない、と思ってしまう。こうして一人一人の人生に向き合ってみると、どんな凄惨な事件でも、どんないわくつきの宗教団体でも、そこにかかわる人間一人一人にその人なりの人生があって、彼らの夢や希望、挫折や絶望は、僕らが抱えているものからそうかけ離れたものではない、と気づかされて。価値観が、壊されていく。
終盤、物語が到達する世界観、コクーンというタイトルの本当の意味には、おお、こんなのありか、と仰け反って、やられたなあ、と唸らされた。納得の結び、とは言い難いけれど、こんな結び方があったか、という驚きが大きい。誰もが、人生に意味を求めている。なぜ、わたしが、こんな目に。なぜ、わたしが、生まれた。
②【小学生のころ、どんな子どもでしたか。】『ペンギン・ハイウェイ』森見登美彦 角川文庫
☆☆☆☆☆
第31回日本SF大賞受賞作。昨年アニメ映画化。
この物語はラブレターだ、と書いたら、ネタバレになるだろうか。
ぼくはたいへん頭が良く、しかも努力をおこたらずに勉強するのである。だから、将来はきっとえらい人間になるだろう。(p. 5)
「たいへん」ませた書き出しで始まる本作は、小学生の「ぼく」が、町に突如現れたペンギンの謎を解き明かそうと奮闘する物語。
読者は「ぼく」と一緒に、人生で大切なことを学びなおしていく。問いを立て、解き明かそうとする、探究心を思い出していく。小学生の「ぼく」の疑問に寄り添いながら、こんな発想力が、こんな日常の気づきが、当時の自分にあったかどうか、思い出そうとする。
このどうしようもない眠さを人間から人間へ輸出するシステムを、アメリカ航空宇宙局が開発してくれないだろうかと、ぼくはつねづね思っている。「眠さ転移システム」があれば、お姉さんはぼくの眠さを使って夜に眠ることができるだろう。(p. 145)
そんな発想や、
でも、そのときぼくはふと考えたのだけれども、今こうしてお姉さんといっしょにいるということは、お姉さんといっしょにいることを思い出すこととは、ぜんぜんちがうのではないだろうか。お姉さんといっしょに今、このプールサイドにいて、たいへん暑くて、水の音や人の声がうるさくて、そして空にソフトクリームのような入道雲が出ているのを見上げていることと、それらのことをノートに記録した文章をあとから読むことは、ぼくがこれまで考えていたよりも、ずっとちがうのではないかという気がした。たいへんちがうことなのだ。(p. 253)
こんな気づき。なんでもかんでも分かっているような、ませた男の子だけど、分からないことも時々あって、その、分かっていない部分が、とても素敵な部分なのだ(この辺りは、読んでもらわないと意味が分からない)。
さて、ませた少年の抱える疑問は、あこがれの「お姉さん」へと収束していく。彼の、年上の女性への恋とも知れぬ感情を、はてなでいっぱいの気持ちを、研究という言葉にのせて、その分からなさをわかりやすい言葉で書いている。そういう話なのだ。知りたいという気持ちが、すなわち誰かを想う気持ちである、という事実を、これだけ強くまっすぐに伝えてくる物語はあまりないんじゃないだろうか。
10月の半ばに読んだこの本の感想メモに、「星5つつけよう」とわざわざ書いてあるのは、読み終えた僕が一回りも年下の「ぼく」にすっかりやられてしまったからなんだろう。
③【人生における、罪は何ですか。】『降霊会の夜』浅田次郎 朝日新聞出版
☆☆☆☆
泣かせ屋・浅田次郎の戦後もの。
雷の鳴る夕暮れ時、別荘地にある私の家の庭に、ひとりの女が迷い込んだ。夢であった女と同じ顔をした彼女は、一晩泊めてもらう恩返しに、「会いたい人はいませんか」と問う。生きていても、亡くなっていてもかまいません、と。私は、小学生のころ、一緒に通学路を歩いたひとりの少年のことを思い出す。
──罪がない、とおっしゃるのですか。(p. 4)
女の呪いのような言葉で幕を開ける一つ目の物語。はかなげな少年・キヨとの思い出は、50ページ足らずで、あまりに残酷な結末にたどり着く。
なあ、ゆうちゃん。
俺はさっき、どいつもこいつもみんな卑怯者だと言ったが、君も、この俺も、その卑怯者のひとりなんだよ。(p. 57)
登場人物に独白させたら、浅田次郎の右に出る者はいないんじゃないかと、思ってしまう。こういう感想は、どうしても安っぽく聞こえてしまうのだけれど、電車の中で、ぼろぼろ涙がこぼれた。
忘れちまう罪は、嘘をつくより重いんだ。(p. 68)
忘れてしまう人間の、なんと罪深いことか。自分のせいで犠牲になった誰かを、忘れてしまうことで、僕らはその誰かを再び犠牲にしているんじゃないだろうか。
これじゃ何ひとつ変わってないじゃないか。東京タワーが建ったって地下鉄が走ったって、こいつらは焼け野々原のまんまじゃないか。(p. 61)
戦後、「輝かしい」ほど復興を遂げていった日本の、光と影。そこに生きる、肝心な人間を置き去りにして、目に見えやすい部分、建物や道路ばかりを見事に変えていった、形ばかりの復興への憤り。そのしわ寄せが、弱い立場の人びとを犠牲にしていく。やりきれない物語だ。かわいそうなんて言う言葉で、言い切ってしまうのが軽々しく聞こえるくらいに。
二つ目の物語は、一転して、青春もの。ある一言が言えなかった、罪と後悔の話だ。
人間の幸不幸は、折ふしその一言が言えるかどうかにかかっている。(p. 268)
その言葉がなくては、終われない気持ちがあって、その気持ちはいつまでも、変わらずにとどまり続ける。浅田次郎が描く愛の物語は、いちばん切ない筋書きを、こちらの心が読めるかのように持ってくるから、憎い。この二つ目もまた、やりきれない。主人公を、何しているんだお前は、と、どなりつけたくなる。けれど思い返せば自分にもまた、伝えるべきはずなのに言えなかった言葉の数々が、確かにあって、そういう言葉が自分や誰かの心のどこかに引っかかっていることを思うと、これまたやりきれない。
④【あなたのユリゴコロは何ですか。】『ユリゴコロ』沼田まほかる 双葉文庫
☆☆☆☆
第14回大藪春彦賞受賞作。
私のように平気で人を殺す人間は、脳の仕組みがどこか普通とちがうのでしょうか。(p. 21)
父の書斎で見つけたノートは、ある殺人者の手記だった。
手記の語り手、「私」の行動一つ一つに嫌な予感が、恐ろしい場所に向かっている気配が付きまとって、ぞっとさせられてばかりだった。特に「みつ子」が最後に登場するシーンでは、描き方の巧みさに感心するのと、場面に入り込んで胃のあたりから悪寒が上がってくるのとで、何とも奇妙な感覚になった。
さっきから続いているこの、心が丸く膨らんでいくような快感、これは楽しいということなんだと、突然理解したからです。膨らんで、弾んで、気球みたいに飛び立ちそうな感覚のなかに、膨らみすぎてはじけてしまうのではないかという不安も少し混じっている。(p. 149)
面白くなるのは、というより、気持ちがぐいと惹かれてくるのは、「私」の前に「アナタ」が現れてから。殺人に魅せられた「私」は、「アナタ」に出会ったことで、今まで知らなかった感情を知っていく。この人間ドラマが、個人的にはこの作品最大の魅力だと思う。もちろん、過去の謎解きと、現在の謎解きが絡みあう構成は見事なのだけれど。あの感情のほうがあってこそ、最後に明らかになる、ある人物が貫き通した愛の形が、読む人の胸を打つ。
⑤【過去は、変えられますか。】『マチネの終わりに』平野啓一郎 文春文庫
☆☆☆☆
第2回渡辺淳一文学賞受賞。今年、福山雅治・石田ゆり子共演で映画化された話題作。
世界的な天才ギタリストと、ジャーナリストが、惹かれあう。これ以上ないほど強く。一切の妥協なく描き切られた人生の重なりと別離。
単なる恋愛小説ではない。芸術家の苦悩から戦争の悲惨さまで、ありとあらゆるテーマを飲み込んだ本作の読み応えはずっしりと重たい。他者の人生の重み、歴史の重み、あらがえぬ運命の重み、そうしたものをどうしても引き受けて生きていかねばならない人生だからこそ、ふとした一瞬に美しさが宿る。
人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?(p. 33)
物語を通じて気づかされる、過去が、いま、あるいは未来によって変えられるという確かな事実に、こんなにも勇気づけられるなんて思わなかった。
⑥【あなたの好きな人は、幸せですか。】『いま、会いにいきます』市川拓司 小学館
☆☆☆☆☆
2003年刊行のベストセラー。翌2004年、竹内結子・中村獅童主演で映画化。
「雨の季節に戻ってくる」と言い残して死んだ妻・澪。つぎの雨の季節、僕と息子の前に、死んだはずの彼女があらわれた。
澪が死んだとき、ぼくはこんなふうに考えていた。(p. 1)
忘れっぽかったり、落ち着かなかったり、なんだかいわゆる「ハンデ」を抱えた主人公なのだなあ、と、読み始めは、どうしても、思ってしまう。そんな主人公が、その家族が、読み進めるうちに愛おしくてたまらなくなっていく。
「うたを歌うといいよ」
「何それ?」
「ママが教えてくれた」
「知らなかった」
「まあね」(p. 57)
多すぎるくらいの、それでいてしつこくはない、静かで心地よい会話がたくさん。会話のリズムとユーモアは、きっと語り手の大好きなジョン・アーヴィングやヴォネガットの影響を受けたもの。
3年間ずっと半径1mの中に一緒にいたきみは、すでにぼくの中のすごく個人的な場所に自分の分身を残していた。(p. 139)
市川拓司のあつかう言葉はほんとうに優しい。『こんなにも優しい、世界の終わりかた』でも思ったことだけれど。その分どこか、というか、かなり、現実味にかける。おとぎ話じみている。僕はそんな彼の物語が好きだ。細かいところでいうと、佑司の目覚まし時計なんかが、好きだ。佑司の寝言なんかが、特に。
きみは幸福だったのかな。(p. 146)
この本に出てくる人たちは、愛するだれかの幸せを、いつだって気にしている。愛するというのはそういうことなのだと、まっすぐに伝えてくる。それはきっと当たり前のことだけれど、本が何冊も書けてしまうくらい、とても大切なことだ。僕はこの物語を読みながら、Mr.Childrenの歌う『ひびき』という歌を思い出していた。何気ない日常の中にこそある幸せを見つけようとする歌。それはこの物語とあの歌の間で、いくつかのキーワードが重なり合っているからかもしれないし、根底にあるテーマが似ているからかもしれない。とにかく、「タンデムシート」に始まるその歌が、頭の中で流れ続けていた。
⑦【人生に希望はありますか。】『希望が死んだ夜に』天祢涼 文春文庫
☆☆☆☆
文学Youtuberベルさんのおすすめ本。
同級生殺害の容疑で、ひとりの女子中学生が逮捕された。彼女の名前は、冬野ネガ。
わかんないよ。あんたたちにはわかんない。なにがわかんないのかも、わかんない。(p. 20)
容疑者となった冬野ネガは、その動機を語ろうとしない。どうして殺したのか、その「どうして」が、真相を知れば知るほど大きくなっていく。どうして、それならどうして、でもどうして、と。
明かされていく真相が突きつけるのは、僕らが普段気づいているはずなのに、目を背けている問題。貧困、格差、「自己責任」。希望はなぜ死ななければならなかったのか。誰もが、読み、考え、「想像」しなければいけない問題が、そこにはあった。そしてその答えは、きっとこの本の中にはなくて。僕らが生きている、この社会のほうに。
⑧【殺してもいい人はいますか。】『そしてミランダを殺す』ピーター・スワンソン 務台夏子訳 創元推理文庫
☆☆☆
英国推理作家協会賞最終候補作。
あなたの奥さんは、たとえばの話、殺されて当然の人間に思えるわ。(p. 43)
妻の殺害計画を手助けすると言い出した、見知らぬ女・リリー。着々と進む犯行計画は、物語を思わぬ方向へ運んで行って──。
想像していた着地点が中盤でがらりと変わる急展開に、ミステリーの楽しさを思い出した。この見え方で正しいのだと、少しの疑いはあるにせよ受け入れていた前提が、いとも簡単に壊されていく感覚。これが楽しいのだ。
殺す側、殺される側がしっかり描かれるせいで、人間の醜い部分が見えてしまって、「殺されて当然の人間」というのがいるのではないかと思ってしまう。殺人を肯定するつもりはなくても(もちろんフィクションの中であればそれは肯定できる)、こういう生き方もあるのだと思わせてしまうくらいの潔さと力強さを、作中のとある人物は持っている。共感せずとも、物語のつづきを追い続けたくなる、主人公だ。
ラストの展開は少し物足りないけれど、先へ先へと読ませていく、アトラクションみたいな読書体験は楽しかった。
⑨【欺し欺されて生きていますか。】『欺す衆生』月村了衛 新潮社
☆☆☆☆☆
第10回山田風太郎賞受賞作。
君はもう知ってしまった。舞台に立つことの快感をね。(p. 48)
戦後最大級の詐欺集団の生き残りは、昔の仲間と新事業を立ち上げ、人を欺す快楽に堕ちていく。
外国人排斥、神国日本の復活、自虐史観の是正。まるで戦前に回帰するかのようなスローガンを掲げる団体が水面下での存在感を増しつつあることに、隠岐は嫌でも気づかざるを得なかった。(p. 288)
物語は80年代に起きた一連の詐欺事件の終焉となる出来事から始まり、現代へと近づくほどに、政治や世界を巻き込んで、欺しのスケールは膨れ上がる。実際にあった事件や、日本の現状と「酷似」した世界観。これは本当にフィクションなんだろうか?
人を欺すためなら、自分を欺すことなんて簡単にできる。そういうもんだろ、人ってさ。(p. 29)
真に迫るのは描かれる出来事だけではない。欺すという行為にのめりこんでいく主人公の姿もまた、リアリティがすごい。欺しながら、欺されていく、ひと、組織、国。この物語に描かれているのは今僕たちを取り巻いている状況そのもの。
最も恐ろしい形で訪れる幕引きも見事で、読み終えて(笑えるわけでもないのに)笑みがこぼれてしまうくらいの快作。山田風太郎賞という太鼓判が押されるのも頷ける。