ドラマチックという言葉 - 3月の読書記録
新年度に入る前に、3月の記録を。
今回も不思議な顔ぶれ。長めな作品も二つほど。
- ①『地球に散りばめられて』多和田葉子 講談社
- ②『涼宮ハルヒの憂鬱』谷川流 角川文庫
- ③『献灯使』多和田葉子 講談社文庫
- ④『MISSING』本多孝好 角川文庫
- ⑤『ぼくが愛したゴウスト』打海文三 中公文庫
- ⑥『文学部唯野教授』筒井康隆 岩波書店
- ⑦『記憶屋』織守きょうや 角川ホラー文庫
- ⑧『ホテル・ニューハンプシャー』ジョン・アーヴィング 中野圭二訳 新潮文庫
- ⑨『悪人』吉田修一 朝日文庫
①『地球に散りばめられて』多和田葉子 講談社
☆☆☆☆☆
友達の薦めで。
装幀はきれいな和菓子。
中国大陸とポリネシアの間に浮かぶ列島に生まれたHirukoは、遠い異国の地で母国を失い、同じ母国語を話す誰かを求めて旅をする。彼女と彼女を取り巻く人々の、言葉を巡る旅の物語。
日本語らしき言葉や、ドイツ語、英語、スカンディナビアの言葉を一つにした人工語。日本語という媒体の上で、様々な言葉が飛び交い、人と人がつながっていく過程が美しくて。言葉によって言葉そのものを描こうとする、そのこと自体が美しくて。
惹きつけられる表現に数多く出会いました。
彼女の顔は空中にある複数の文法を吸い込んで、それを体内で溶かして、甘い息にして口から吐き出す。聞いている側は、不思議な文章が文法的に正しいのか正しくないのか判断する機能が停止して、水の中を泳いでいるみたいになる。これからの時代は、液体文法と気体文法が固体文法にとってかわるのかもしれない。 (p. 12)
あるいは。
言葉が記憶の細かい襞に沿って流れ、小さな光るものを一つも見落とさずに拾いながら、とんでもない遠くまで連れて行ってくれる。 (p. 271)
じっくり読んで、いつまでもその言葉の海にたゆたっていたいと感じられる作品でした。
②『涼宮ハルヒの憂鬱』谷川流 角川文庫
☆☆☆☆
名作が角川文庫に襲来。
ライトノベルと名のつくものを読んだのはこれが初めてかもしれません。これまで敬遠していた類のジャンルで、その大ボスに挑戦。
なんだこれ、面白いぞ。
自分がきっと特別で、面白くて非日常な出来事が自分を待っているのだと信じて疑わない、一人の少女の物語。
ストーリーのスピード感、キャラクターの濃さ、滅茶苦茶に見えてしっかりSFとしての根っこに支えられた構成。
語り手の「俺」の、涼宮ハルヒに対する皮肉と諦めとちょっとの共感とたっぷりのユーモアがちょうどいい。
③『献灯使』多和田葉子 講談社文庫
☆☆☆☆☆
こちらも多和田葉子さん。以下感想は表題作について。
鎖国し、食糧不足に陥り、数多くの言葉が失われ、健康な子供は生まれなくなり、年寄りばかりが力強く生きている時代。そこに、曾祖父と曾孫はいた。
どうしてこんなに悲惨な世界を、ユーモアたっぷりに描けるのだろうと思いながら読み進めるうちに、なんだか悲惨でもないような気がしてきたりして。
曾孫の無名のひ弱さを嘆きながら、必死に守り育てようとする曾おじいさんがかっこよくて。
無名、待っていろ。お前が自分の歯では切り刻めない食物繊維のジャングルを、曾おじいちゃんが代わりに切り刻んで命への道をひらいてやるから。 (p. 41)
読み終えて、震えました。
④『MISSING』本多孝好 角川文庫
☆☆☆☆
昔読んだきり読み返していなかった短編集。
どれも余韻のあるミステリ、しかもとても短い。
「眠りの森」と「瑠璃」が特に好きでした。
ひとつひとつテンポもムードも違って、飽きさせません。
⑤『ぼくが愛したゴウスト』打海文三 中公文庫
☆☆☆☆☆
伊坂幸太郎さんのお気に入りの一冊。解説も伊坂さんです。
11歳の夏。自分はこの世界の人々と違うのだと、気づいてしまった少年の冒険を描く。
物語の正体がなかなかつかめない、得体のしれない面白さがあり、ぐいぐい読みました。『1984年』(ジョージ・オーウェル)の「正気かどうかは統計上の問題ではない」という言葉が思い出されます。自分を取り巻く世界がおかしいと気づいたとき、その世界に対して、自分がおかしくないと証明することができるのか。
なんだろうこの余韻は。
11歳の少年の、世界と自己存在を巡る成長物語。
主人公・翔太の意識がどこにたどり着くのか、結末は予想を超えていました。
⑥『文学部唯野教授』筒井康隆 岩波書店
☆☆☆☆
この本の関係者が自分の関係者でもあると知って。
饒舌極まりない大学教授、唯野仁の授業は、いつも満席の名物講義。隠れて小説を発表している彼の周りには、七癖も八癖もある教授や助手、記者連中が渦巻いていて、大学とマスコミと文学の板挟みですりゴマのようになりながら、唯野は今日も破天荒な文芸批評講義を繰り広げる。
ゲラゲラ笑いながら読める人と、顔をしかめる人とで評価が分かれそうですが、文芸批評に少しでも興味があればきっと楽しめます。
⑦『記憶屋』織守きょうや 角川ホラー文庫
☆☆☆
知り合いの薦めで。
人の記憶を消すことができるという怪人・記憶屋を巡る物語。
謎解きと謎の答えをほのめかすエピソードが順序良く配置された、きれいな構成のお話でした。
どうしてこれが「ホラー」なのか最初は疑問だったのですが、しばらくして納得。
自分を知っていたはずの誰かが、自分を忘れてしまうこと。
これって、ひょっとしたらその辺のホラー映画よりもずっと恐ろしい、しかも容易に起こりうる恐怖なんですよね。
再び記憶について考えさせられました。
⑧『ホテル・ニューハンプシャー』ジョン・アーヴィング 中野圭二訳 新潮文庫
☆☆☆☆☆
『サラバ!』(西加奈子 小学館文庫)に登場して気になっていた作品。
父、母、祖父、兄、姉、弟、妹、飼い犬、そして僕。それぞれに傷を抱えたある家族が、一家でホテルを営んでいく波乱万丈の「おとぎ話」。
上下巻合わせて800ページ超ありますが、少しも長いとは感じられませんでした。それほど、エピソードがふんだんに盛り込まれています。
はじめの一章だけでも、じゅうぶん一つの作品として成立するほどの充実感。
ずっと前に現れた台詞が、何度も形を変えて現れるリフレイン。
傷つきながら生きていくこの家族に、幾度感情を揺さぶられたことか。
今まで僕は、ドラマチックという言葉を安易に用いすぎたのかもしれない。ドラマチックとは、波瀾万丈で感動的で印象的で、劇的であること。そしてこの物語にこそ、ドラマチックという言葉が最もふさわしいと思われるのです。
印象的だった父親の台詞を一つ。
「われわれが何を失ってもそこから立ち直って強くなれないんだったら、そしてまた、なくて淋しく思っているものや、欲しいけれど手に入れるのは不可能なものがあっても、めげずに強くなれないんだったら」父さんは言う、「だったら、われわれはお世辞にも強くなったとは言えないんじゃあるまいかね。それ以外にわれわれ人間を強くするものがあるかね?」 (下 p. 198)
人生の節目にまた読み返したい作品です。
⑨『悪人』吉田修一 朝日文庫
☆☆☆☆☆
言わずと知れた名作。
三瀬峠で一人の女が殺された。男はなぜ、彼女を殺害したのか。
殺された彼女と殺した彼。そして彼を愛したもう一人の女。3人にかかわる人間たちの愛の物語。
読んでいて、映画を観ているようでした(小説をこんな風にたとえていいのでしょうか)。鮮やかな場面転換。次々と切り替わる語りの中心人物。
読み手は急に、誰かの人生に放り込まれる。読み進めるうちに、この人も事件にかかわる人間なのだと気づく。その繰り返し。誰一人、薄っぺらい操り人形のいない、重厚な群像劇。
終盤、被害者の父が漏らす一言が胸に刺さりました。(ここでは伏せます)
容疑者として、あるいは有罪判決を受けた罪人としてニュースで報じられる人間を、「悪人」と切って捨ててしまう僕ら。対してこの小説は、一人の罪人の人生を、彼にかかわる人々の人生と同じように並べてみせ、偏りのない眼差しで描き、伝えています。
「悪人」とは。「加害者」とは。「被害者」とは──。